プロ棋士時代とは? わかりやすく解説

プロ棋士時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 09:01 UTC 版)

桐谷広人」の記事における「プロ棋士時代」の解説

広島県竹原市出身将棋棋士の門をたたこうとしていたところ、紹介により同郷升田幸三弟子となった1975年桐谷ライバルとされた沼春雄と共に四段昇段果たしプロ棋士となった当時まだ珍しかった研究派の棋士で「コンピューター桐谷」の異名をとった。棋風居飛車党受け将棋相手攻め駒を攻める、駒得重視する戦術で、優勢になってもなお相手攻撃応接継続するマッサージ戦術」を得意として「桐谷マッサージ戦術」(青野照市)などと呼ばれた。また入玉が得意の棋士として知られる観戦記なども手掛け囲碁・将棋チャンネルの「桐谷広人将棋講座」及び「名勝負の解説」では師匠升田幸三将棋解説務めた弟子には大平武洋今泉健司がいる。1996年度第9期竜王戦5組昇級した2000年には現役勤続25年表彰受けた第55期順位戦フリークラス陥落復帰できないまま10年経過したため、2007年3月末引退した通算成績327483敗。 棋士として升田幸三門下であったが、プライベートでは米長邦雄傾倒し米長著作代筆を行うなど20年以上仕えた。しかし、米長のために婚約者破局迎えたことが一度ならずあったといい、後に米長の裏面をマスコミ告白した米長弟子先崎学C級2組時代、9勝1敗の好成績上げながら頭ハネ昇級逃した際に「何でおれがこんなクラスで指さなきゃいけないんだ。順位戦制度はどうなってんだ?」と口を滑らせたために、C級2組棋士全員を敵に回した第51期順位戦1992年度)9回戦の桐谷-先崎戦では、闘志剥き出しにして挑んだ桐谷快勝し先崎昇級阻んだ直後自戦記において「こんな男に負けて悔しかったら新宿安酒飲んで道路に寝るがよかろう、それが似合いだ」と罵って反省促した

※この「プロ棋士時代」の解説は、「桐谷広人」の解説の一部です。
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