プロ棋士の妻として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/01 17:31 UTC 版)
「中村雅子 (アナウンサー)」の記事における「プロ棋士の妻として」の解説
1992年、福島テレビを退職し、同年に2歳年上の中村修と結婚。プロ棋士の妻の役割として、雅子は「マネージャー」、「秘書」、「洋服コーディネーター」の3つを挙げている。修が対局を終えて帰宅するのは深夜になることが多く、寝たふりをして待つ。勝ったのか負けたのかは「気配と物音でわかる」とのこと。 二人の出会いは、福島テレビに入社したばかりの1987年春。将棋好きの上司からの「若手の棋士達が福島に来るから一緒に食事でも」という誘いに雅子ほか数名が応じた。修とともに「55年組」と呼ばれる同期の強豪棋士・島朗と塚田泰明も同席していた。ちなみに、修はその1987年の3月にすでに王将2連覇(相手は2回とも中原誠十六世名人)を達成していた(塚田はその年に、島は翌年に初タイトルを獲得する)。 以降、グループ交際が続いたが、3年ほど経って二人きりで会うようになる。修が東京駅の新幹線ホームから福島在住の雅子に夕方に電話して、いきなり食事に誘うことがあったという。結婚前に上司(上述)から修の収入が大体どれぐらいであるかを聞いたり、将棋界の事情を教えてもらったことがあり、結婚に行き着けたのは「上司のおかげ」であるとしているが、結婚後に、修の毎月の収入の変動が激しいことに驚くこととなる(対局料収入が主であるため)。 なお、夫婦そろって宝塚歌劇団の大ファンである。最初は雅子の方から誘ったが、その後、修も熱を入れるようになった。
※この「プロ棋士の妻として」の解説は、「中村雅子 (アナウンサー)」の解説の一部です。
「プロ棋士の妻として」を含む「中村雅子 (アナウンサー)」の記事については、「中村雅子 (アナウンサー)」の概要を参照ください。
- プロ棋士の妻としてのページへのリンク