プログレス7号、電波望遠鏡の展開、地球への帰還
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「ソユーズ32号」の記事における「プログレス7号、電波望遠鏡の展開、地球への帰還」の解説
プログレス7号は6月28日に打ち上げられ、2日後にサリュート6号とドッキングした。食品、植物、手紙、直径10mの電波望遠鏡を含む1230kgの補給品を運んだ。ステーションの軌道は7月3日から4日に399-411kmまで押し上げられ、サリュートの運用史上最高の高度となった。これは、1979年にこれ以上のプログレスの飛行が予定されておらず、またサリュートの推進システムに懸念があったため、乗組員の地球帰還前に軌道をできるだけ高くしておくという決定がなされたためである。燃料は7月17日に移された。プログレスがドッキング解除すると、ワイヤーメッシュのパラボラ望遠鏡が広げられた。補給船に搭載されたカメラがその模様を地球に送信した。 電波望遠鏡は後方のドッキングポートに配置されたが、その結果は期待を裏切るものであり、乗組員は8月9日にこれを放出した。アンテナがポートにひっかかるトラブルが起き、疲れ切った宇宙飛行士は絡まりを解くために8月15日に予定にない宇宙遊泳を行う必要に迫られた。命綱をつけたリューミンは、ハンドレールを使ってアンテナを捕獲し、切断した。その後彼とリャホフは、ステーションの外部に設置された実験材料を回収した。ミッションの最終盤に宇宙遊泳が行われたため、最良の体調ではないことが懸念となり、彼らは万一生き残れなかった場合のためにソユーズ帰還機の中に遺書を残した。 彼らは様々な実験結果をソユーズ34号に詰め、8月19日に宇宙ステーションを離れ、2日後に大気圏再突入してジェスカスガン南東170kmの地点に着陸した。無重力環境に6か月も滞在してかなり弱っていたため(贈られた花束が「1トンのレンガ」のように感じられたと報じられている)、ソユーズ効果モジュールから脱出するために滑り台が用意された。リャホフは飛行中に5.5kg痩せ(リューミンの体重は同じだった)、二人とも下肢の体積が20%減っていたが、予想されていたよりも数日早く、7日間で回復した。 このミッションは175日間続き、1978年にソユーズ29号が打ち立てた139日間の記録を上回った。
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