ブルガール論争とは? わかりやすく解説

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ブルガール論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 05:54 UTC 版)

ヴォルガ・ブルガール」の記事における「ブルガール論争」の解説

ヴォルガ・ブルガール故地は、1552年カザン・ハン国滅亡により、ロシア・ツァーリ国併合されたが、ヴォルガ川中流域最初ムスリム国家であるヴォルガ・ブルガール記憶は、その後当地ムスリム住民アイデンティティをめぐる論争の的になった19世紀初頭には、歴史家のフサメッティン・ブルガーリーによる『ブルガール諸史(Tawārikh-i Bulghāriyya)』が著されたほか、19世紀後半カザン周辺活動したイスラーム神秘主義教団のヴァイソフ神軍も、自らをヴォルガ・ブルガール直系として位置付けた。ヴォルガ川中流域地域的歴史的一体性強調する19世紀以降こうした動きは、同時代発展した汎テュルク主義主張対立しヴォルガ川中流域ムスリム知識人の間で大きな論争となったまた、キリスト教徒であるチュヴァシ人知識人の間でも、19世紀後半ロシア東洋学発展により、古代ブルガール語チュヴァシ語近縁であることが明らかとなると、自らの民族起源ヴォルガ・ブルガール求め意識高まった一方で1940年代ソ連民族学では、ヴォルガ・ブルガールを、ソ連領内で「自生的」に発展した民族集団として位置付けその子孫タタール人同定しチュヴァシ人民族起源フィン・ウゴル系先住民族位置付ける学説主流となったこうした学説背景には、征服者であるモンゴル帝国系譜を、ソ連邦諸民族民族起源説から排除する政治的な意図があった。これに反発したチュヴァシ人知識人は、ブルガール起源説発展させ、1970年代には、タタール人知識人との間で、ブルガール後継民族を巡る民族起源論争を繰り広げたまた、ソ連邦崩壊後タタールスタン共和国では、タタール人民族起源について関心高まりジョチ・ウルスからの連続性強調する立場タタール派)と、ヴォルガ川中流域という地域的連続性強調する立場ブルガール派)の間で大きな論争となった

※この「ブルガール論争」の解説は、「ヴォルガ・ブルガール」の解説の一部です。
「ブルガール論争」を含む「ヴォルガ・ブルガール」の記事については、「ヴォルガ・ブルガール」の概要を参照ください。

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