ブルガリアの封建化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 07:29 UTC 版)
「第二次ブルガリア帝国」の記事における「ブルガリアの封建化」の解説
13世紀から14世紀にかけて、東ローマ支配時代から続くブルガリアの封建化が進行した。中央権力の衰退に伴って、力を付けた地方領主は農民などの従属民からの搾取を行い、また土地や財産の寄進を受けた教会や修道院が大封建勢力へと化していった。このため、第二次ブルガリア帝国は多数の村を有する聖俗の封建勢力と農奴とされた農民が併存する状態になっていた。封建領主は都市にも介入し、都市部の商人や職人も封建領主から圧迫を受けた。 ブルガリア内の土地の所有形態は皇帝領、封建領主領、教会領、修道院領に四分される。皇帝領と封建領主領は、一定の範囲内に領地が集まっていた。逆に教会領と修道院領の場合、一つの寺院が所有する土地は国中に分散しており、支配地には住宅、耕作地、水車などの様々な施設が含まれていた。当時広範囲にわたる土地の所有を認められていた修道院には、アトス山のヒランダル修道院、リラ修道院、バチコヴォ修道院(英語版)などが挙げられる。 封建勢力が従属民に課した税には労働(賦役)と物品の納付のほか、時代が進むにつれて貨幣の納付が加わった。牧草地、水車などの農畜・漁業に必要な道具の使用賃として、農民は生産品を領主に納付しなければならなかった。また、収穫品の10分の1を徴収するデセトカル、金貨による特別税を徴収するペルピラキなどの、新たな官職が徴税のために設けられた。
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