フルロの結成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/11 13:34 UTC 版)
これに対し、反共主義で少数民族を結束しようとする動きが発生した。CIAの計画のもと1961年、民間不正規戦グループ(CIDG)が発足した。当初、CIDGは南ベトナム陸軍(ARVN)の指揮下に置かれる計画であったが、キン族主体の南ベトナム軍と対立し、結局、南ベトナム軍事援助司令部(MACV)隷下の特殊部隊群(グリーン・ベレー)の指揮下とされた。1964年6月、カンボジアの支援により被制圧諸民族闘争統一戦線(フルロ)が創設されると、CIDG部隊のいくらかは事実上フルロに鞍替えし、ベトナムに対し反共・自治独立闘争を開始する。少数民族は、歴史的な対立とジェム政権に激しく弾圧された経緯から、キン族の南ベトナム政府とは反目していた。またフルロが南北ベトナムからの分離を主張していることもあり、反共の名のもとでも二者を統合する事は困難で、ここにカンボジアの介入する余地が生まれた。 しかしながら、キン族将校とフルロ将兵との民族的反目はいぜんとして根深く、1964年9月と1965年7月~12月にかけて、フルロは複数省にわたる南ベトナム軍基地で大規模な反乱・武力衝突を起こした。また武器の持ち逃げやキン族上官の殺害、集団脱走などが頻繁に起こった。南ベトナム政府はフルロとの妥協も模索しており、1968年2月、一時的な和解が成立している。しかし、一部の強硬派は和解を不服として武力闘争を継続したため、本格的な共同戦線が張られることはなかった。CIDG兵力は1965年2月の1万9152人から1967年4月には3万1477人となるが、1970年CIDG計画は終了され、フルロは南ベトナム軍に編入された。
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