ビーバー (アラスカ州)とは? わかりやすく解説

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ビーバー (アラスカ州)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/04 01:09 UTC 版)

ビーバー

Beaver
Ts’aahudaaneekk’onh Denh
CDP
Location of Beaver, Alaska
座標:北緯66度21分35秒 西経147度23分51秒 / 北緯66.35972度 西経147.39750度 / 66.35972; -147.39750座標: 北緯66度21分35秒 西経147度23分51秒 / 北緯66.35972度 西経147.39750度 / 66.35972; -147.39750
アメリカ合衆国
 アラスカ州
国勢調査地域 ユーコン・コユクック国勢調査地域
政府
 • 州上院議員 Click Bishop (R)
 • 州下院議員 Mike Cronk (R)
面積
[1]
 • 合計 21.0 mi2 (54.5 km2)
 • 陸地 20.5 mi2 (53.1 km2)
 • 水域 0.5 mi2 (1.4 km2)
人口
 • 合計 48人
 • 密度 2.3人/mi2 (0.88人/km2)
等時帯 UTC-9 (AKST)
 • 夏時間 UTC-8 (AKDT)
ZIP code
99724
市外局番 907
FIPS code 02-05750

ビーバー英語: Beaverコユコン語: Ts’aahudaaneekk’onh Denh)とは、アメリカ合衆国アラスカ州にある村・国勢調査指定地域である。

フォートユーコンの西、アラスカ州の中央部の森林地帯のユーコン川の岸沿いに位置する。面積は54.5平方キロメートル[1]、人口は48人(2020年国勢調査[2])。村民は主にイヌピアットエスキモーグウィッチン、コユクックなどのアサバスカ語族系のネイティブ・アメリカンがほとんどで[2]ポトラッチと呼ばれる儀式も行われている。小型機が着陸出来るよう滑走路が敷かれている。他、1928年に建てたクルイックシャンクスクールという学校などがある。交易所や教会、1913年に作られた郵便局があり、教会の隣は墓地になっており、村の創設者フランク安田、ネビロ夫妻の墓もある。村民は主に自給自足で暮らしており、ムースサーモンなどを獲っている。連邦政府が認めたビーバー村のネイティブアメリカンのコミュニティとしてビーバービレッジ会議がある。

アラスカ州のゴールドラッシュ時の1907年日本人フランク安田とイヌピアック・エスキモーの妻ネビロと2名のエスキモーは鉱山師トマス・カーターと共に、金鉱を探しにバローから出発した。一行はワイズマンに行き、その後、フランク安田とネビロの2人はシャンダラー地域に行き、シャンダラー川で金を発見する。金の発見後、フランク安田はカーターに報告し、カーターはシャンダラー地域で金の取引ポストを始める。フランク安田は麻疹天然痘などで壊滅的打撃を受けたポイント・バロー(バロー岬)のイヌピアック・エスキモーが安住して暮らせる場所を探していた。カーターからユーコン川付近にはムースなど動物がいて狩猟も出来るし、シャンダラー金鉱の交通地点として良いと言われ、ユーコン川沿いにエスキモーの彼らのために村を作ろうと決める。友人のジョージ大島からユーコン川にはビーバーが生息していると聞き、フランク安田は村を作る際に、そのままビーバーと命名した。ビーバーが位置する場所にはエスキモーと対立する、アサバスカ語族のインディアンの居住地の近くだったため、フランク安田は、アサバスカ・インディアンと生活した事があり、アサバスカ語も話せるジョージ大島を通訳に、アサバスカ語族の首長と交渉に当たった。交渉に成功した後の1911年フランク安田はポイント・バローに戻り、妻のネビローやフランク安田夫妻に同調した数百人のエスキモー一団を連れ、ブルックス山脈を越え、ユーコン川沿いの村となるビーバーの場所に辿り着いた。フランク安田はその活躍から「ジャパニーズモーゼ」あるいは「アラスカのサンタクロース」などとも呼ばれた。辿り着いたエスキモー達はフランク安田が建てて置いた丸太小屋の家に落ち着いた。ビーバー村はカーターが経営するシャンダラー鉱山の交通拠点として川船に薪を供給し、エスキモーとインディアンの毛皮の取引した。1913年に郵便局が設立され、1920年代初期に第2の取引ポスト場が開かれた。1928年にフランク安田により学校が作られ、滑走路は1930年代に敷設された。エスキモーの他、インディアンや白人が入り込み、村はビーバーの毛皮取引で村は栄え、人口も300人を一時越えたが、村の存在に欠かせない存在であるフランク安田が1942年日系人捕虜強制収容に収容するため連行されると、ビーバー村の人口は若者を中心に激減し村は寂れていった。1950年代から1970年代の人口は比較的安定していた。1974年に、村民が家畜の株式を持ち、ビーバービレッジ議会は地元の店を購入し、協同組合が発足した。

関連項目

出典

  1. ^ a b 2023: GEO Geography Information”. アメリカ合衆国国勢調査局 (2023年). 2024年12月3日閲覧。
  2. ^ a b c 2020: DEC Redistricting Data (PL 94-171)”. アメリカ合衆国国勢調査局 (2020年). 2024年12月3日閲覧。

外部リンク


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