ビルマ独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 02:49 UTC 版)
イギリスの復帰を経て1948年ビルマは独立するが、その直後から反乱が続いた。また、シャン州やカチン州では中国国民党の残党が中国から侵入し、実効支配する有様であった(中国共産党に対する大陸反攻の拠点として、アメリカ合衆国はビルマ政府を半ば無視する形で公然と国民党部隊に軍事援助を行った)。当時のビルマ国軍は、旧ビルマ国民軍、それと対立するカレン族将校団をはじめ、ビルマにおける様々な政治勢力の寄り合い所帯であった。このため、ビルマ軍においては少数民族出身者や左翼系の将兵を中心に脱走・離脱が相次ぎ、一時的にビルマ政府の支配力はラングーン周辺までに減退させられた。このときウー・ヌ政権において、国軍の最高指揮官(国防相)だったネ・ウィンは、旧ビルマ国民軍出身者を優先的に起用し、カレン族やカチン族など少数民族の将兵を罷免するなどして(このとき放逐された部隊と将兵達が、カレン民族解放軍やカチン独立軍といった民兵組織の基礎となった)、ビルマ族を中心とした国軍への立て直しに成功する。海外からの軍事物資の支援を例外として、ほぼ自力で平野部でのビルマ政府の支配権を回復させるまでに至る。また、中国国民党残党に対して、ウー・ヌが国連においてその存在を非難するとともに、中国共産党の人民解放軍との合同で中緬国境作戦を行い、シャン州で掃討作戦を展開するなどしてビルマ国内からの排除に成功した。
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