ビクトリアカップでの死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 22:54 UTC 版)
「タカイホーマ」の記事における「ビクトリアカップでの死」の解説
3回目となるビクトリアカップは格式こそクラシック競走ではないが、1着賞金は2100万円と桜花賞やオークスと同水準であり、4歳牝馬にとっての大レースだった。とは言え、京都競馬場では前週に関西での秋の最大のレースである菊花賞が行われたばかりで、ビクトリアカップ当日の入場者数は菊花賞に及ばない6万5000人あまりとなった。馬券の売り上げも菊花賞の10分の1ほどにとどまった。 タカイホーマは、関東から遠征したただ1頭の出走馬となった。関西勢では、夏の札幌競馬で力をつけてきたタイラップが2番人気に推された。春の早い時期には「関西ナンバーワン」と呼ばれていたシンモエダケが3番人気、オークスで離れた3着だったカンツォーネが4番人気と続いた。だが、タカイホーマの単勝はこの3頭を合わせたよりも売れていて、圧倒的な1番人気になっていた。桜花賞優勝のアチーブスターも出ていたものの、桜花賞のあと休養を挟んで秋に復帰したあとの7着、6着、9着といいところがなく、5番人気でしかなかった。 公式発表による馬場状態は「稍重」だったが、秋晴れに恵まれて芝は「信じられないほどに」乾いていた。観客スタンド前のホームストレッチから発走してまもなく、大方の予想通りシュウエイホープが先頭に立った。が、これに続く2番手の位置につけたのが、普段は後方待機策をとるアチーブスターだった。これは意表をついた先行策であり、観客はどよめいた。レースはこの2頭が後続を3馬身ほど離して進み、前半6ハロン(1200メートル)の通過タイムが1分18秒6と、桜花賞やオークスのときとは打って変わってスローペースになった。タカイホーマは中団に控えた形になり、ほかの有力馬のほとんどがタカイホーマをマークする形で中団から後方に下げた。結果的には、この位置取りが勝負を分けることになった。 京都競馬場は向こう正面の後半から第3コーナー付近にかけて上り坂になっており、そこが「勝負どころ」とされている。各馬は順調に隊列を組んで走ってきたのだが、第3コーナーでこれが大きく乱れた。中団を走っていたタカイホーマが突如失速して一気に最後方まで下がり、タカイホーマをマークしていた有力馬は軒並みそのあおりを受け、後手を踏むことになった。スローペースを利して楽に先行していたアチーブスターは最後の直線に入っても余力を充分に残しており、タカイホーマのアクシデントの影響を受けた後続各馬の追い込みをかわして逃げ切った。桜花賞のときと同じように、アチーブスターの勝因はレース展開をよみきった武邦彦騎手の「好騎乗にあずかるところが大きかった」とされた。 タカイホーマは、第3コーナーの時点で骨折していたという。そこで停止することができず、片脚が不如意のままさらに1ハロン(200メートル)あまりも駆けてしまった。しかし、脚が不自由な状態で第4コーナーを曲がりきることができず、「くずれるように」転倒し、落馬してしまった。タカイホーマの症状は、両脚の第一指関節完全脱臼に加え、右後ろ脚にも浅屈腱断裂を起こしていた。それだけでも競走馬にとっては完全に致命傷であるが、折れた骨が心臓に刺さってしまい、出血多量で死亡した。
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