ヒカリ屋とは? わかりやすく解説

ヒカリ屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/12 02:45 UTC 版)

  • 株式会社 主婦の店ひかり屋[1][2]
  • 株式会社 ヒカリ屋[2]
ヒカリ屋の旧ロゴ(右側、草津駅東口のエルティ932(旧ヒカリ屋草津店)にて撮影。同ロゴは撤去済み)
種類 株式会社
本社所在地 525-00
設立
業種 スーパーマーケット[3]
代表者 代表取締役会長 佃あや子
資本金
  • 500万円[2]
  • 4,320万円[3]
売上高 237億円(1989年平成元年))[4][5]
従業員数 245[2]

343[3]
決算期 1月期[2]
関係する人物 佃光蔵(創業者)[2][3]
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ヒカリ屋(ひかりや)は、滋賀県草津市で食料品店から発展したスーパーマーケットである。1986年(昭和61年)には売上高100億円を上げて、滋賀県内に本社を置く小売業で平和堂の1,358億円に次ぐ2位となった[6]

沿革

  • 1949年昭和24年)3月[2] - 佃光蔵が滋賀県草津市大路527番地で[1]繊維小売を創業[2]
  • 1961年(昭和36年)2月26日 - 資本金150万円で「株式会社 主婦の店ひかりや」を設立し、法人化[1]
  • 1968年(昭和43年)
    • 2月 - 社名を「株式会社 ヒカリ屋」に変更し、草津市大路1-14-1に本店を移転[2]
    • 4月 - 草津市大路1-14-1に新店舗が完成[2]
    • 4月 - 資本金1,500万円で「株式会社 ニューヒカリ屋」を設立[7]
    • 9月 - 大阪市住吉区中加賀屋に大阪店を出店[2]
  • 1987年(昭和62年)4月 - 佃光蔵(社長〈創業者〉)が死去し[8]、佃あや子が社長に就任[注 1][10]
  • 1989年平成元年)4月 - 草津店開店に際し、ダイエーと業務提携を行う[4]。商品供給や仕入・人材の受け入れなどを行った[4]
  • 1990年(平成2年)[4] - ダイエーが当社の株式の過半を約90億円で取得して子会社化し[5]、社長にダイエー出身の山崎誠一専務が昇格してダイエーの傘下となる[4]。この株式の譲渡により、佃あや子が滋賀県の高額納税者番付で1位となり[11]、全国の高額納税者番付では8位となった[9]

かつて存在した店舗

滋賀県

売場面積169 m2[13]
  • ニューヒカリ屋 → 草津店(草津市大路大路1-14-1[14]1968年(昭和43年)4月開店[15]
鉄筋コンクリート造・4階建て[16]。売場面積3,830 m2[14]
エルティ932(売場面積13,925 m2)の核店舗として[17]地下1階から地上4階までの約7,600 m2に出店していた[19]
鉄筋コンクリート造・4階建て[16]。売場面積1,183 m2[14]
店舗跡は改修して[20]2016年(平成28年)4月20日に「まちかど情報館」が開館した[21]
敷地面積約13,791 m2[22]、鉄骨一部鉄筋コンクリート造地上4階建て塔屋1階[22]、延べ床面積約21,453 m2[22]、店舗面積約8,340 m2[22](当社店舗面積約4,551 m2[22])、駐車台数約1,000台[22]
瀬田駅前に出店していた[24]

京都府

延べ床面積4,065 m2[25]、売場面積500 m2[26]
協同組合烏丸マート(売場面積970 m2)の鞍楽ハウディに出店していた[25]
敷地面積約3,573 m2[27]、鉄骨鉄筋コンクリート造地上4階建て塔屋1階[27]、延べ床面積約7,479 m2[27] → 約8,974 m2[28]、店舗面積約4,476 m2[27](当社店舗面積約2,563 m2[27]) → 約5,142 m2[29]、駐車台数約600台[27]

大阪府

延べ床面積2,996 m2[31]、売場面積1,622 m2[31]

過去に存在した関連会社

1986年(昭和61年)には売上高92億円を上げて、滋賀県内に本社を置く小売業で平和堂の1,358億円と「ヒカリ屋」の100億円に次ぐ3位となった[6]

脚注

注釈

  1. ^ 後に会長に就任[9]

出典

  1. ^ a b c d e 『全国繊維企業要覧 昭和43年版』 信用交換所大阪本社、1967年9月15日。pp978
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『全国繊維企業要覧 昭和45年版』 信用交換所大阪本社、1970年。pp2583
  3. ^ a b c d e f g 『滋賀年鑑 昭和59年版』 京都新聞社、1983年11月。 pp657
  4. ^ a b c d e “ストアニュース”. 総合食品 1990年5月号 (総合食品研究所) (1990年5月).pp101
  5. ^ a b “各社各様に拍車かかる大手チェーンの投資計画”. 販売革新 1990年6月号 (アール・アイ・シー) (1990年6月).pp83-86
  6. ^ a b 『データ・ハンドブック 1987年版』 商業界、1987年6月15日。pp20
  7. ^ a b c d e 『日本繊維商社銘鑑 1970年版』 信用交換所大阪本社、1970年。pp1333
  8. ^ “佃 光蔵氏 死去”. 京都新聞 (京都新聞社). (1987年4月9日). pp25
  9. ^ a b 1990(平成2)年長者番付”. 月間基礎知識2003年8〜9月号 お金があることとステイタスの現代史用語集「長者」. 自由国民社 (2003年7月). 2023年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月12日閲覧。
  10. ^ “佃 あや子さん(六十) ヒカリ屋 ゛趣味は仕事です″ 来年度売り上げ300億円へ”. 中日新聞 (中日新聞社). (1988年12月27日). pp滋賀版
  11. ^ “湖国の高額納税者 上位は土地と株 公示者も最高”. 京都新聞 (京都新聞社). (1990年5月2日). pp滋賀版
  12. ^ 『日本繊維商社銘鑑 1970年版』 信用交換所大阪本社、1970年。pp798
  13. ^ a b 『日本セルフ・サービス年鑑 1968年版』 日本セルフ・サービス協会、1967年11月10日。pp301
  14. ^ a b c 『日本セルフ・サービス年鑑 1970年版』 日本セルフ・サービス協会、1970年3月20日。pp271
  15. ^ 『全国都市統計総覧』 東洋経済新報社、1982年9月。pp961
  16. ^ a b 『滋賀県地域防災計画附属資料 昭和48年1月修正』 滋賀県防災会議、1973年1月。pp186
  17. ^ a b “開店予定情報”. ショッピングセンター 1989年4月号 (日本ショッピングセンター協会) (1989年4月1日).pp67
  18. ^ “撤退を正式決定 ヒカリ屋草津店 衣料品と食品売り場 今月末に営業停止”. 中日新聞 (中日新聞社). (2005年11月15日).滋賀版
  19. ^ “JR草津駅前に商業施設開設へ 「エルティ」内に21日オープン”. 京都新聞(京都新聞社). (2007年9月15日)
  20. ^ “旧ヒカリ屋店舗改修「まちかど情報館」に 本町商店街活性化へ 八日市”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (1996年2月8日). pp滋賀版
  21. ^ “かつての市場再現 まちかど情報館オープン 八日市”. 中日新聞 (中日新聞社). (2016年4月21日). pp滋賀版
  22. ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1051
  23. ^ 『新修大津市史 第10巻 年表・便覧』 大津市、1987年11月29日。pp404
  24. ^ 『新修大津市史 第6巻 現代』 大津市、1983年8月7日。pp422
  25. ^ a b c 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2010年版』 東洋経済新報社、2010年。pp1224
  26. ^ a b 『流通会社年鑑 1984年版』 日本経済新聞社、1983年10月31日。 pp159
  27. ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1076
  28. ^ a b 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2006年版』 東洋経済新報社、2006年。pp1192
  29. ^ 二場邦彦 “京都の小売商業と大型店 凍結宣言満了後の動向”. 京都地域研究 VOL.9 (立命館大学人文科学研究所京都地域研究会) (1994年11月30日).pp20
  30. ^ 『滋賀年鑑 昭和49年版』 京都新聞社、1973年10月25日。 pp508
  31. ^ a b c 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2009年版』 東洋経済新報社、2009年。pp1277

関連項目


ヒカリ屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 13:44 UTC 版)

グルメシティ近畿」の記事における「ヒカリ屋」の解説

1949年昭和24年) - ヒカリ屋呉服店として創業1951年昭和26年) - 主婦の店ヒカリ屋に名称変更1962年昭和37年2月 - 株式会社改組1968年昭和43年4月 - 「株式会社 ヒカリ屋」に名称変更衣料品中心としたスーパーの展開で発展2007年平成19年3月1日 - 「株式会社グルメシティ近畿」に吸収合併され会社消滅統合後も「(グルメシティ)ヒカリ屋」ブランド継続

※この「ヒカリ屋」の解説は、「グルメシティ近畿」の解説の一部です。
「ヒカリ屋」を含む「グルメシティ近畿」の記事については、「グルメシティ近畿」の概要を参照ください。

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