パラオ・フィリピン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/19 18:25 UTC 版)
「カリニン・ベイ (護衛空母)」の記事における「パラオ・フィリピン」の解説
8月18日、カリニン・ベイはエニウェトク環礁を出港し、ツラギ島に向かった。9月14日に第3艦隊(ウィリアム・ハルゼー大将)がパラオに対する攻撃を開始すると、カリニン・ベイの航空機はこれに呼応してペリリューの戦いおよびアンガウルの戦いに加わった。二週間もの間、カリニン・ベイの航空機はおよそ400回出撃して、上陸部隊の支援や日本軍の陸上施設への攻撃を繰り返した。9月25日には、カリニン・ベイの航空隊は他の助けを借りずに3隻の貨物船と6隻の上陸用舟艇を破壊した。9月30日、カリニン・ベイはパラオ水域を離れて10月3日にマヌス島ゼーアドラー湾に帰投した。 新しい艦長T・B・ウィリアムソン大佐を迎えたカリニン・ベイは、10月12日にマヌス島を出撃してフィリピン海域に向かった。来るレイテ島の戦いに備えて空中哨戒と上陸部隊支援の任務を与えられたカリニン・ベイは10月17日にはレイテ島沖に到着して、レイテ湾口に位置するディナガット島とホモンホン島にいるレンジャー部隊への航空支援を行った。レイテ島への上陸作戦が開始されると、タクロバンへの空襲を行った。カリニン・ベイが属したクリフトン・スプレイグ少将率いる第77.4.3任務群(通称「タフィ3」)は、10月18日から24日までの間に244回の攻撃を行い、レイテ島、サマール島、セブ、ネグロス島およびパナイ島の日本軍施設と航空基地を破壊した後、サマール島東方海上に向けて航行した。
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