パラオ行き船団のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 04:47 UTC 版)
「第3503船団」の記事における「パラオ行き船団のその後」の解説
パラオ行きの輸送船4隻はサイパンで船団主力と分かれ、新たな護送船団となった。船団はサイパンを5月16日夕刻に出航したが、たちまち再び「サンドランス」および僚艦の「タニー」により捕捉されてしまった。まず、日付が17日に変わってまもなく、「泰国丸」(朝鮮郵船:2633総トン)が「サンドランス」の雷撃を受けて沈没した。護衛艦が爆雷を投下して制圧成功と思われたが、17日午後6時40分に今度は「タニー」の雷撃で「日和丸」(日産汽船:4955総トン)が沈没した。残る輸送船2隻は退避したが、命令により現場に戻って救助を開始したところを「サンドランス」に狙われ、「復興丸」(大洋海運:3834総トン)が被雷し翌日沈没した。唯一生き残った「大阪丸」(日本郵船:3740総トン)は、サイパンに逃げ帰った。 サイパンに戻った「大阪丸」は、5月20日、「台東丸」(大阪商船:4466総トン)と船団を組んで、「水無月」以下3隻の護衛の下にパラオへ向け出航した。南鳥島付近に敵機動部隊が出現したため退避する目的で、「台東丸」はサイパンでの荷揚げ作業を中断しての緊急出港だった。船団は、速力9.5ノットで進んだ。24日午後8時には「水無月」が敵の浮上潜水艦を発見するが、攻撃して撃沈を報じたため戦闘配置を解いた。アメリカ海軍によると、付近には潜水艦「フライングフィッシュ」が行動中で、この日、自身の発射した魚雷の過早爆発により損傷を負っている。しかし、「フライングフィッシュ」は作戦行動を続け、再び船団に襲いかかった。25日午前9時20分頃、「大阪丸」「台東丸」は相次いで魚雷攻撃を受け、2隻とも沈没、船団は全滅した。日本側によると、無航跡魚雷が使用されたという。
※この「パラオ行き船団のその後」の解説は、「第3503船団」の解説の一部です。
「パラオ行き船団のその後」を含む「第3503船団」の記事については、「第3503船団」の概要を参照ください。
- パラオ行き船団のその後のページへのリンク