パラオ諸島の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 09:23 UTC 版)
「マリアナ・パラオ諸島の戦い」の記事における「パラオ諸島の戦い」の解説
パラオ諸島はカロリン諸島の西部(西カロリン諸島)に属し、マリアナ諸島の南方に位置する島々である。カロリン諸島は第1次世界大戦後、日本の委任統治領となり、日本は国際連盟を脱退(1933年)した後も統治を続け、日本からの入植者も多かった。太平洋戦争開始後、パラオはソロモン、ニューギニア方面の後方兵站基地となり部隊や軍需品の中継基地として機能した。パラオは1944年3月に空襲を受けて大きな損害を出すが、これは連合軍がニューギニアのホーランジアに進攻するための支作戦として行ったものである。日本は中部太平洋方面の戦況の悪化に伴いこの方面の陸軍部隊を統率するために第31軍を新設し、パラオもこの第31軍の配下で防衛体制の強化を計ることになる。日本軍(大本営)はマリアナ諸島が短期間の戦闘で陥落したのは敵上陸時の基本としていた水際作戦が適切でなかったとの見地から急遽この方針を変更し、海岸から離れたところに主陣地を構築して、ここを拠点に長期間にわたり上陸軍に反撃する作戦(長期持久)をとるよう指導した。一方、フィリピンの奪還に向けてニューギニア北岸を西進していた連合軍はビアク島まで達していたが、フィリピンにさらに近い位置に航空基地を確保するため、ペリリュー島とアンガウル島の攻略を開始した。(同時にニューギニアとフィリピンの間にあるモロタイ島の攻略も開始。)
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