パノラマカー登場後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 02:16 UTC 版)
「名鉄5500系電車」の記事における「パノラマカー登場後」の解説
その7000系パノラマカーが登場すると、5500系は他のSR車と同様に急行運用へ転用されるようになり、特急運用は季節特急に使用される程度になった。しかし、当時は踏切事故が多いため、パノラマカーが踏切事故で損傷する事態も多発した。7000系と5500系は同一性能であるため、パノラマカー先頭車が修理のため工場に入場している間は、代わりに5500系先頭車が連結され、その後も非常時には同じ方策が採られるようになった。 焼損からの復旧時に高運転台に改造されたモ5509 普通列車として運用された5500系 なお、モ5509は1964年(昭和39年)2月に新川工場の火災によって焼損したため、同年9月に復旧する際には車体を新造した上で高運転台仕様となった。また、1960年代後半は短期間に車体塗装デザインが変更されることになった。まず1967年夏からは順次ストロークリームをベースとして赤い帯が入るデザインに変更されたが、1968年末にはスカーレットに白帯が入るデザインに変更され、さらに1970年以降はスカーレット1色に変更された。 1978年(昭和53年)には正面貫通扉の脇に三角形の手すりが設けられたほか、1979年(昭和54年)ごろから、正面の貫通幌撤去と前照灯のシールドビーム化が順次行われた。また、1980年(昭和55年)からは特別整備が開始され、同時に運転台直後の仕切り壁の窓縮小や換気扇設置が行われた。この特別整備は1983年(昭和58年)4月に全車両に対して完了したが、後期に整備された車両では連結面の妻窓が埋められている。また、1983年4月からは7000系の特別整備が開始されたが、7000系先頭車が整備されている場合は、モ5519・モ5520の2両編成を代わりに連結して運用した。
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