パスタ元年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 21:04 UTC 版)
小麦の大量輸入と前後する1954年(昭和29年)、イタリアからパスタの自動製造機が輸入され、1955年(昭和30年)にはマ・マーマカロニの前身となる日本マカロニ株式会社と日本製粉のオーマイブランドがそれぞれ国産スパゲッティの販売を開始した。日本国内でパスタの大量生産が始まったこの年は「パスタ元年」とも呼ばれる。 このとき、販売促進のデモンストレーション用にナポリタンの原型ともいえる「ケチャップを混ぜて炒めるパスタ」が登場し、調理が簡単なメニューとして喫茶店や家庭に広まっていったという。 ただし、上野によれば、昭和30年代の時点ではこの「ケチャップを混ぜて炒めるパスタ」はナポリタンという料理名では呼ばれていなかった。上野は、1967年(昭和42年)に高森興産が販売したパスタが「ナポリタン」の製品化の嚆矢と推測する一方で、流通販路が限られていたためその名称が全国的に広まったとは考えにくいと述べている。1970年代に入り学校給食にナポリタンという名前でケチャップソースの現在の昔風ナポリタンと同様の物が提供されていた。 前川健一によると、1970年(昭和45年)発行の『日清製粉株式会社七十年史』に、「マカロニ類はめん類の中では特異な存在であって、業務用が主体となっている高級品である」とあり、1960年代にはまだ家庭ではスパゲッティはあまり食べられていなかった。イタリア料理店もそれほど多くなかったため、スパゲッティといえば喫茶店や洋食店で食べるもので、家庭でさかんに食べられるようになったのは1970年代か1980年代かもしれないという。 池上は、パスタ料理が庶民に普及した理由として、1970年代からのファミリーレストランの興隆を大きな要因として挙げている。ファミリーレストランの先駆けとされるすかいらーくの開業時のメニューには「スパゲティナポリタン」も記載されている。 1991年発行の『調味料・香辛料の事典』では、東京地区と大阪地区で実施された「家庭内におけるケチャップメニューの出現頻度」のアンケートにおいて、「ナポリタン」は「スパゲティ・パスタ」とは別項目に分けられたうえで、出現頻度の高いメニューとして東京地区の5位につけている(「スパゲティ・パスタ」は東京・大阪ともに3位)。
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