バン・スウェリンゲン兄弟による経営と世界恐慌、第二次世界大戦
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「チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道」の記事における「バン・スウェリンゲン兄弟による経営と世界恐慌、第二次世界大戦」の解説
次なる大きな転換は、1923年であった。クリーブランドの投資家、バン・スウェリンゲン兄弟(オリス・パクストン・バン・スウェリンゲンOris Paxton Van Sweringenとマンティス・ジェームズ・バン・スウェリンゲンMantis James Van Sweringen)が、C&Oの支配権を得たのである。彼らは多数の持株会社を持ち、それぞれ多くの鉄道の株を所有しており、ペレ・マルケット鉄道(Pere Marquette Railroad、PM)、エリー鉄道とともに、C&Oをニッケル・プレート鉄道(NKP。正式にはニューヨーク・シカゴ・アンド・セントルイス鉄道、NYC&St.L)に統合しようとしたが、財政的に不安定であるという理由で州際通商委員会に認められなかった。C&Oの他の株主の多くは反対していた。 1927年にはC&Oを彼らの所有する鉄道群の核とすることを決め、C&OをNKPの子会社とすべく、持株会社チェサピーク・コーポレーションを設立。1929年には、NKP、チェサピーク・コーポレーション、エリー鉄道、C&Oの持株会社であるアレゲーニー・コーポレーションを設立した。スウェリンゲン兄弟は、このような形で鉄道会社群を多数の持株会社により運営していた。しかし、世界恐慌のなかで、兄弟の会社群は倒産してしまった。 しかしながら、C&Oは底力のある路線だった。1930年代初期には半数以上の鉄道会社が管財下におかれたが、破産を免れただけでなく、安価な労働力と資材で自力で再生する機会をとらえた。アメリカ中が経済的苦境に立たされていた間に、C&Oは新たにトンネルを掘り、複線化に取り組み、橋を掛け直し、重軌条化をし、道床を作り直した。その資金は、主要な営業品目である石炭運搬によるものであった。世界恐慌に見舞われていた時といえども、石炭はあらゆる場面で使用されていたし、C&Oが輸送する瀝青炭の品質は最上級のものであった。 こうした線路改良をしたおかげでC&Oは良好な輸送の環境を構築することができ、第二次世界大戦時の兵士や物資の大量輸送を支えることができた。加えて最新の大型機関車を使うことにより、大量の物資を運ぶことができる鉄道となった。海軍の軍艦や商用船の燃料として、また軍需産業で、石炭を大量に消費したが、その補給線としての役割を果たしたのである。
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