バレーボール全日本女子ジュニア (バレーボールぜんにほんじょしジュニア)は、20歳以下(U-20)または21歳以下(U-21)の国際大会で編成される日本の世代別ナショナルチームである。主な出場大会として、2年ごとに開催されるアジアジュニア選手権(U-20) 及び世界ジュニア選手権(U-21) [ 1] がある。
本項ではアンダーエイジであるバレーボール全日本女子ユース(U-18またはU-19)及びU-23も取り扱う。全日本ユースの主な出場大会として、2年ごとに開催されるアジアユース選手権 (U-18)と世界ユース選手権 (U-19)[ 2] があり、全日本U-23の出場大会としては2年ごとに開催される世界U-23バレーボール選手権 [ 3] 及び2015年から開催されるアジアU-23バレーボール選手権 [ 4] がある。
FIVB世界ランキングはU23が第5位[ 5] 、ジュニアが第3位(2017年1月現在)[ 6] 、ユースが第8位である(2017年1月現在)[ 7] 。
概要
国際バレーボール連盟 は「1977年に第1回世界ジュニア選手権(U-20) を開催する」と1973年に発表し、1976年にアジア会議において日本が推薦出場できることが決定した[ 8] 。これを受けて日本バレーボール協会 は代表選考合宿を行い、実業団チーム若手や高校生らが参加したが、当時の日本では高校女子のネットの高さが一般成人女子よりも低くハンデキャップとなり[ 9] 、結局実業団若手の須藤佳代子 、江上由美 らが全日本ジュニアに選出された。1977年10月にメキシコで開催された第1回世界ジュニア選手権では、銅メダルを獲得した[ 10] 。日本以外の出場国はこの大会を1980年のモスクワオリンピック の前哨戦と位置づけて強化を図ってきており、日本バレーボール協会50年史では「日本は準備不足であった」と異例の自己批判を行っている[ 11] 。
1981年の第2回からはその開催前年にアジアジュニア選手権 が開催されることになり、優勝チームが世界ジュニア出場権を得られるシステムとなった。またアジアジュニアで出場権を得られなかった場合でも、アジア予選を突破すれば世界ジュニア本大会の出場権が得られた。2012年現在ではアジア予選は廃止され、アジアジュニア上位4チームが世界ジュニア出場権を得られるシステムとなっている[ 12] 。
実戦による強化については、1976年9月に開催されたNHK杯 への参加[ 13] 、環太平洋ジュニア選手権大会(U-20)への参加などがあった[ 14] 。環太平洋ジュニア選手権大会は1984年から環太平洋ユーストーナメント大会(U-18)に衣替えし、全日本ユースともいうべき選抜メンバーが出場している[ 14] 。
1989年からは世界ユース選手権(U-17) (発表当時は第1回世界ユースカップ[ 15] )が開催されることになり、アジア予選が開催された。1997年のアジアユース選手権 新設に伴い、出場権はアジアユース選手権上位チームに変更されている[ 16] 。2003年の世界ユース選手権まではU-17であったが、年齢制限が変更され2005年の世界ユース選手権からU-18となっている。
日本バレーボール協会としては、ジュニア・ユース選手権は育成の場であり[ 15] 、「将来一人でも多く全日本シニア代表 に入る人材が育って欲しい」との願いがあった[ 17] [ 18] 。代表候補に選出された選手が故障や、学業優先、日本国内高校生メジャー大会優先などで、参加辞退することがある。
全日本女子ユースの成績
アジア女子ユース選手権
メダル獲得数
金メダル
銀メダル
銅メダル
合計
全日本ユース
8
2
0
10
世界女子ユース選手権
メダル獲得数
金メダル
銀メダル
銅メダル
合計
全日本ユース
2
1
1
4
全日本女子U-23の成績
アジアU-23女子選手権
メダル獲得数
金メダル
銀メダル
銅メダル
合計
全日本U-23
1
0
0
1
※世界U-23選手権大会の出場権を獲得。
世界U-23女子選手権
メダル獲得数
金メダル
銀メダル
銅メダル
合計
全日本U-23
0
0
1
1
歴代監督
()は当時の所属。
全日本女子ジュニア
全日本女子ユース
全日本女子U-23
歴代ジュニア・ユース・U-23メンバー
詳細はバレーボール全日本女子ジュニアの歴代選手・スタッフ一覧 、バレーボール全日本女子ユースの歴代選手・スタッフ一覧 及びバレーボール全日本女子U23代表の歴代選手・スタッフ一覧 を参照のこと。
脚注
関連項目
参考サイト
外部リンク
統括団体
ナショナルチーム
国内リーグ
国内カップ他
9人制
ビーチバレー