バレス裁判 - ダダの終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 06:11 UTC 版)
「リテラチュール」の記事における「バレス裁判 - ダダの終焉」の解説
第1シリーズの最終号は1921年8月の第20号である。この号にはブルトンとツァラの対立が露わになり、ダダの終焉につながった事件「バレス裁判(フランス語版)」の記録が掲載された。「バレス裁判」は、かつてアナキスト・耽美主義者として青年知識人に大きな影響を与えた文学者モーリス・バレスが極右的な政治思想に傾倒したことを批判して1921年5月13日に上演した即興劇であり、フランス革命期の革命裁判所になぞらえた法廷で、ブルトンが裁判長、テオドール・フレンケルとピエール・ドゥヴァル(フランス語版)が陪席裁判官、リブモン=デセーニュが公訴人、アラゴンとスーポーが弁護人の役を演じ、ツァラ、ウンガレッティ、セルジュ・ロモフ、ラシルド(フランス語版)、ドリュ・ラ・ロシェル、ジャック・リゴーの6人が証言台に立ち、それぞれの文学的な立場からバレスを批判した。とはいえ、ダダによる滑稽な時代批判、同時代人の評価でもあり、たとえば、ウンガレッティはバレスとイタリア未来派のマリネッティや国粋主義の詩人ダンヌンツィオとの比較での回答を求められ、「ダンヌンツィオは(バレスより)狂気の度合いが強い分だけ勇敢だ」と皮肉っている。一方、ツァラは、バレスを「今世紀最大の卑劣漢(le plus grand cochon du siècle)」とし、ブルトン裁判長にバレス以外の卑劣漢を挙げるよう命じられると、「ブルトン、フレンケル、ドゥヴァル、リブモン=デセーニュ、アラゴン、スーポー、ジャック・リゴー、ドリュ・ラ・ロシェル、ペレ…」とその場に居合わせたダダイストの名前を挙げた。風刺やユーモアを込めたパフォーマンスとはいえ、このことは、一切を無意味とするダダに徹したツァラと文学伝統において無意味とされた無意識や夢に新しい価値を見いだそうとしたブルトンらとの根本的な思想の対立を浮き彫りにすることになり、『リテラチュール』誌第1シリーズは「バレス裁判」をもって終刊となった。 なお、「バレス裁判」の記録は「起訴状」に始まり、第20号のほぼ全体にあたる24ページに及ぶ長い文章だが、1981年5月の『ユリイカ』第13巻第6号「ダダ・シュルレアリスム特集号」に朝吹亮二訳「資料 バレス裁判」として掲載された。
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