バブル崩壊と金融再編
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:02 UTC 版)
バブル崩壊は、脆弱な経営基盤である大和銀行を直撃した。そして、凋落が決定的となったのが、1995年に発覚した、「大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件」である。同行ニューヨーク支店において、米国債の取引による総額約11億ドルの巨額損失が発生。当時の大蔵省へ損失報告を行っていながら、米法に反して米当局への報告を怠り、連邦準備制度理事会から巨額の制裁金処置とアメリカ合衆国からの退去命令という厳罰が下された。 国際金融市場の中心であるウォール街からの追放は、国際金融市場へのアクセスを失うことを意味し、かつて米国内の拠点数第1位、都銀第3位の海外拠点を有していた大和銀行は、大和プルダニア銀行(現在のりそなプルダニア銀行)を除く、全国際業務から撤退した。当時純利益の3割を稼いでいた米国市場を失ったのに加え、バブル崩壊後の経済環境は悪化の一途をたどり、「リスクを張って金利を稼ぐ」与信姿勢も災いし膨大な不良債権を生み出し、1998年3月には公的資金による優先株式4080億円の注入を受けた。 1999年に始まった、都銀各行の金融再編で大和銀行は、その不良債権額から合併を忌避され、取り残されていた。その後、大和銀行は個人や中小企業を主要な取引顧客とし、親密な地方銀行をグループ内に取り込む「スーパーリージョナルバンク」への転換を図ることになる。2001年12月、大和銀行は同行の親密地方銀行である近畿大阪銀行と奈良銀行と共に、株式移転により金融持株会社大和銀ホールディングスを設立し、各行はその傘下に入った。同時に、大和銀行が兼営する信託部門のうち、法人向けの年金信託業務を新設の大和銀信託銀行に分割した。 続いて、2002年3月には、同じく金融再編に取り残され、マーケットで集中砲火を浴びていた、あさひ銀行が株式交換により大和銀ホールディングスの傘下となった。2003年3月には、あさひ銀行の埼玉県内の営業拠点と資産を、新設の埼玉りそな銀行に譲渡し、残ったあさひ銀行と大和銀行が合併する形でりそな銀行となった。
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