ハルビン学院時代
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根井三郎 1902年(明治35年)、現在の宮崎市佐土原町に生まれる。日露協会学校の二期生で、元・ウラジオストク総領事代理。シベリア鉄道を使って遙々やって来た難民の窮状に同情し、書類不備を理由に日本入国に難色を示す外務本省に抗議する他、自身も独断でビザを発給していた。ロシアのみならず、中東情勢にも詳しく、「列国の注目を集める新興国イラン」(『世界知識』13:03, 1940年)などの論文で知られる学究的側面もあった。戦後は法務省に移り、名古屋入国管理事務所所長を最後に引退。1992年(平成4年)に、90歳で没した。『自由への逃走』に登場。 伊神孝雄 ハルビン学院の18期生で、元・セントラルパーク社長。「人道の丘公園」の発案者として、『六千人の命のビザ』に登場。『日本に来たユダヤ難民』の邦訳 (1992) の巻末に、「世界平和と杉原精神」と題する後書きを寄せる。 笠井唯計 ハルビン学院の13期生で、ドイツ語とロシア語に堪能な元・在ベルリン満洲国大使館一等書記官。貴重な在欧体験を語る講演会(岐阜歴史と医学を語る会「激動の昭和史と外交官」1994年1月30日)なども行う。『自由への逃走』『サキエル氏のパスポート』に登場。
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