ハッチンソンの記念碑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/12 03:03 UTC 版)
「アン・ハッチンソン」の記事における「ハッチンソンの記念碑」の解説
マサチューセッツ州ボストンの州議会議事堂の前にアン・ハッチンソンとその娘スザンナの彫像が立っている。スザンナは1643年にアン・ハッチンソンとスザンナの兄弟を殺したシワノイ族(ワッピンガー族)インディアンによる攻撃の唯一人の生存者だった。スザンナはシワノイ族が見たことの無かったその赤い髪ゆえに生き残った。彼女は捕虜に取られ、「秋の葉」と名付けられ、数年後に身請けされるまでインディアンの間で育てられた。 彫像は1922年に立てられた。その大理石製台座の碑文は次のようになっている。 IN MEMORY OFANNE MARBURY HUTCHINSONBAPTIZED AT ALFORDLINCOLNSHIRE ENGLAND20 JULY 1595 (sic)KILLED BY THE INDIANSAT EAST CHESTER NEW YORK 1643COURAGEOUS EXPONENTOF CIVIL LIBERTYAND RELIGIOUS TOLERATION (和訳)アン・マーベリー・ハッチンソンの思い出に1595年(碑文のまま)7月20日、イングランドのランカシャー州アルフォードで洗礼を受け1643年、ニューヨークのイーストチェスターでインディアンに殺された市民の自由と宗教的寛容さの勇気ある提唱者である — 文芸評論家の中には『緋文字』の登場人物ヘスター・プリンにマサチューセッツ湾植民地でのハッチンソンに対する迫害を辿る者がいる。ナサニエル・ホーソンは、ハッチンソンの当時の伝記作者イブ・ラプラントの『アメリカのイゼベル』(Harper, 2004年)によって、その小説の女主人公とアン・ハッチンソンを結びつけた。 アン・ハッチンソンとウィンスロップ知事との政治的闘争は、ウィリアム・ギブソンの1980年の劇『美しい創造物』(Goodly Creatures)に描かれている。この劇に登場する他の史上の著名人物は、ジョン・コットン牧師、ハリー・ベイン知事および後のクェーカー教徒殉教者メアリ・ダイアーである。 ニューヨーク州南部のハッチンソン川は女性の名前を持った数少ない川の一つであり、ハッチンソン川パークウェイは最も著名な彼女の名を持つものとなっている。ブルックリン博物館におけるジュディ・シカゴの美術品展示「ザ・ディナーパーティ」のテーブルで偶然にももう一人の川に名前に使われたサカガウィアとハッチンソンが隣り合わせになった。ロードアイランド州ポーツマス、ニューヨーク州ウェストチェスター郡のペルハムやイーストチェスターの町の小学校はハッチンソンの名前を持つ他の例である。 ピューリタンの女性詩人アン・ブラッドストリートは、父がトマス・ダドリー、夫がサイモン・ブラッドストリートという排斥側だったにも関わらず友人であり続けた。
※この「ハッチンソンの記念碑」の解説は、「アン・ハッチンソン」の解説の一部です。
「ハッチンソンの記念碑」を含む「アン・ハッチンソン」の記事については、「アン・ハッチンソン」の概要を参照ください。
- ハッチンソンの記念碑のページへのリンク