ハイメ・ソベル時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 02:19 UTC 版)
「アヤラ・コーポレーション」の記事における「ハイメ・ソベル時代」の解説
エンリケ・J・ソベルはトップダウン的な経営を行ったが、ハーバード大学ビジネススクールの経営学修士(MBA)であるハイメ・ソベルは民主的な経営方針を持ち、社長兼会長の自身を支える経営陣のほとんどは専門経営者だった。ハイメ・ソベルはフィリピン経済危機後の困難な時代に経営を継いだため、不採算部門の圧縮、リストラ、長期債務の削減などに取り組んだ。1986年のフィリピン大統領選挙では、先代のエンリケ・J・ソベルが現職のマルコスを支持したのに対して、ハイメ・ソベルは対立候補のコラソン・アキノを支持した。アキノが選挙に勝利して大統領に就任すると、1980年代後半にフィリピン経済が持ち直したこともあって事業の拡大に転じ、日本の川崎製鉄や三菱商事との合弁でのラグナ・テクノパークの設立、本田技研工業や三菱商事との合弁でのホンダ・カーズ・フィリピンの設立、三菱商事や三菱電機との合弁でのラグナ・オートパーツの設立、三菱商事との合弁でのアヤラ・システムズ(ASTI)の設立などを行った。マニラ近郊のラグナ州に400ヘクタールの工業団地を造成し、ラス・ピナスに158ヘクタールの宅地を開発し、セブに44ヘクタールの商業地を開発した。 ハイメ・ソベルが継いだ1983年時点ではアヤラ・コーポレーションの株式のうち30%が公開されていたが、ハイメ・ソベルは株式公開比率を徐々に増やし、ファミリー企業からの脱却を図っている。1988年には不動産部門が新設されたアヤラ・ランド(英語版)に移行され、アヤラ・コーポレーションは純粋な持ち株会社となった。1993年時点ではアヤラ・コーポレーションの株式のうち、59%をアヤラ家が所有するメルマック社が、20%を三菱グループが所有し、21%が従業員持ち株と一般公開株だった。1990年代前半にはアヤラ・ランドなどの不動産部門、フィリピン諸島銀行などの銀行・保険部門、ピュア・フーズなどの食品加工部門が三大収益源だった。2001年にはピュア・フーズをサン・ミゲルに売却して食品事業から撤退し、不動産、銀行、通信などの中核事業に力を集中させた。
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