ノゲイラ戦
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11月9日、PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦ではアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとの対戦を迎えた。本来ならこの大会でヒョードルとのタイトルマッチが行われるはずだったもののヒョードルの怪我により暫定王座決定戦となっていた。1Rはミルコが打撃で圧倒し、終了間際に左ハイキックを放ち、完全な形ではないがヒットさせてノゲイラからダウンを奪った。2R開始直後、初めてテイクダウンを奪われるとパウンドを浴びて、グラウンドの展開から脱出しようとした際にノゲイラに腕ひしぎ十字固めを極められてしまいタップアウト負け。これにより総合格闘技での無敗記録がストップした。試合後のセレモニーで、暫定王者のベルトを与えられるノゲイラの姿を見つめながら、ミルコはリングの片隅で涙を浮かべていた。 大晦日にはINOKI BOM-BA-YE 2003に出場し高山善廣と対戦予定だったが、直前になって出場をキャンセルした。 2004年2月1日、PRIDE.27でロン・ウォーターマンと対戦。序盤からいきなりテイクダウンを奪われるも、スタンドに復帰後すぐさま左ハイキックでダウンを奪い、サッカーボールキックを浴びせてKO勝利。2週間後、2月15日のPRIDE 武士道 -其の弐-では山本宜久にTKO勝利する。4月25日、PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦のPRIDEヘビー級GP1回戦でケビン・ランデルマンと対戦。満を持して臨んだトーナメントで、ミルコを優勝候補に挙げる声も多かったが、1R1分57秒、左フックからのパウンドでまさかの失神KO負けを喫した。トーナメントから早々に脱落したミルコはワンマッチでの出場を続け、5月23日のPRIDE 武士道 -其の参-では金原弘光に粘られるも判定勝利。7月19日のPRIDE 武士道 -其の四-では大山峻護と対戦。左アッパーでKO勝利。 8月15日のPRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦ではPRIDEヘビー級王者ヒョードルの弟のエメリヤーエンコ・アレキサンダーと対戦、20キロ以上の体重差を問題にせず左ハイキックでKO勝利。観衆はミルコの鮮烈な復活劇を歓喜で迎えた。この勝利により、ミルコはようやくPRIDEトップ戦線への返り咲きを果たした。 10月31日、PRIDE.28での第10代パンクラス無差別級王者・元UFC世界ヘビー級王者ジョシュ・バーネットと対戦。「最後の大物」とも呼ばれたバーネットとの対決は、ファンの期待を大いに高めたが、1R46秒、バーネットの左肩の脱臼によるタップアウトにより、勝利するも消化不良のまま終わった。12月31日のPRIDE 男祭り 2004ではケビン・ランデルマンと再戦、フロントチョークで一本勝ちを収め、リベンジを果たした。 2005年2月20日、PRIDE.29でマーク・コールマンと対戦。コールマンのタックルを完封し、1R3分42秒右アッパーでKO勝ちし、PRIDEヘビー級王座への挑戦権を獲得。6月26日にはPRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUNDでヒョードルと同門のイブラヒム・マゴメドフと対戦し、左ミドルキックでKO勝利。前哨戦を制した。
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