ネバダ (モニター)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 03:50 UTC 版)
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艦歴 | |
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発注 | |
起工 | 1899年4月17日 |
進水 | 1900年11月24日 |
就役 | 1903年3月5日 |
退役 | 1920年7月1日 |
その後 | 1922年1月26日にスクラップとして売却 |
除籍 | |
性能諸元 | |
排水量 | 3,225トン |
全長 | 255 ft 1 in (77.76 m) |
全幅 | 50 ft (15.24 m) |
吃水 | 13 ft 3 in |
機関 | |
最大速 | ノット |
乗員 | 士官、兵員220名 |
兵装 | 12インチ砲2門、4インチ砲4門、6ポンド砲2門 |
ネバダ (USS Nevada, M/BM-8) は、アメリカ海軍のモニター艦。アーカンソー級モニターの1隻。艦名はネバダ州に因む。
艦歴
当初はコネチカットの艦名で、1899年4月17日にメイン州バスのバス鉄工所で起工した。1900年11月24日にグレース・ブーテレによって進水し、1901年1月にネバダと改名、1903年3月5日に艦長T・B・ハワード中佐の指揮下就役した。
1909年3月2日、ネバダは戦艦36号にその名を譲るため、トノパー (USS Tonopah) と改名された。トノパーは大西洋艦隊潜水艦部隊に母艦として配属され、1918年1月まで東海岸、マサチューセッツ州からフロリダ州キーウェストまでの範囲で活動した。その後短期間バミューダに配属され、2月にサンミゲル島のポンタ・デルガダでの活動を命じられた。2月から12月までトノパーはアゾレス諸島海域において潜水艦 K-1 (USS K-1, SS-32)、K-2 (USS K-2, SS-33)、K-3 (USS K-3, SS-34)、K-5 (USS K-5, SS-36)、E-1 (USS E-1, SS-24)および駆潜艇と共に作戦活動に従事した。 12月にリスボンへ曳航され、帰国後1920年7月1日にフィラデルフィアで退役した。トノパーは1922年1月26日に他の艦艇と共にフィラデルフィアのJ・G・ヒトナー社に売却された。
外部リンク
- navsource.org
- history.navy.mil: USS Nevada
- この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。
「ネバダ (モニター)」の例文・使い方・用例・文例
- ネバダ党員集会は1月に予定されている。
- ネバダ州へ行きます。
- カリフォルニアとネバダは互いに接している。
- メキシコ人が住みついたテキサスの土地に関する論争が高じて、1846年に米国はメキシコに宣戦布告をし、1848年の条約で、米国がテキサス、カリフォルニア、アリゾナ、ニューメキシコ、ネバダ、ユタ、およびコロラドの一部を取得し、メキシコに1500万ドルを支払った
- シェラネバダ高地の草原や森林の境界の
- ネバダのコロラド川に1933年に建てられた大きなダム
- 彼らは、ネバダの地域で映画を撮影した
- 米国の南西地域で、通常、ニューメキシコ州、アリゾナ州、テキサス州、ネバダ州、カリフォルニア州と、時にはユタ州、コロラド州を含む
- ネバダ州の州都
- ネバダ最大の都市
- シエラネバダ山脈の麓における西ネバダの或る町
- 東カリフォルニアと南西ネバダのモハベ砂漠の一部である砂漠地帯
- ネバダとカリフォルニアの境界からカーソンシティ西部までの湖
- シエラネバダ山脈で湧き上がり、サクラメント川で大きな三角州を形成するために北西に流れるカリフォルニア中部の川
- カリフォルニアにあるシエラネバダ山脈の最高峰(標高14、495フィート)
- ネバダの原住民か居住者
- カリフォルニアのシエラネバダの西部山麓の南端にある極端に高い常緑樹
- ネバダという,米国の州
- 巨大な広告看板が米国ネバダ州の砂漠,エリア51に出現した。
- 1月6日,ゲイツ会長は米国ネバダ州ラスベガスで行われた国際家電見本市で,マイクロソフト社の代表として最後の基調講演を行った。
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