E-1 (潜水艦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/27 07:57 UTC 版)
| 艦歴 | |
|---|---|
| 発注 | |
| 起工 | 1909年12月22日[1] |
| 進水 | 1911年5月27日[1] |
| 就役 | 1912年2月14日[1] |
| 退役 | 1921年10月20日[1] |
| その後 | 1922年4月19日にスクラップとして売却[1] |
| 除籍 | |
| 性能諸元 | |
| 排水量 | 水上 287トン、水中 342トン |
| 全長 | 135 ft 3 in (41.2 m)[1] |
| 全幅 | 14 ft 7 in (4.4 m)[1] |
| 吃水 | 11 ft 8 in (3.6 m)[1] |
| 機関 | ディーゼルエンジン、700 hp(520) kW、 電動モーター、600 hp(450) kW、1軸推進 |
| 最大速 | 水上 13.5ノット (25.0 km/h) 水中 11.5ノット(21.3 km/h) |
| 乗員 | 士官1名、兵員19名 |
| 兵装 | 18インチ魚雷発射管4門[1] |
E-1 (USS E-1, SS-24) は、アメリカ海軍の潜水艦。E級潜水艦の1番艦。当初の艦名はスキップジャック (USS Skipjack) であった。
艦歴
スキップジャックは1909年12月22日にマサチューセッツ州クインシーのフォアリバー造船所で起工する[1]。1911年5月27日にD・R・バトルズ夫人によって命名、進水し、1911年11月17日に E-1 と改名、1912年2月14日に艦長チェスター・W・ニミッツ大尉の指揮下就役する[1]。
就役の6日後、E-1 はボストンを出航しニューポートとニューヨークを経由してノーフォークへ向かった[1]。バージニア岬沖で4月まで各種試験を行う[1]。その後ニューロンドンで主機のオーバーホールを行い、ニューイングランド南方での作戦活動を始める[1]。8月19日にプロビンスタウンに到着し、同日付で大西洋艦隊水雷小艦隊から潜水小艦隊に所属変更となる[1]。9月20日にニューヨーク海軍工廠に入渠し変更、補修およびスペリー・ジャイロコンパスの装着が行われ、E-1 は水中試験艦のパイオニアとなった[1]。E-1 は加えて水中での無線通信実験も行った[1]。
E-1 はニミッツ大尉の指揮の下、上記の機材の試験およびその他の重要な開発を担当した。ニミッツの経歴の全体にわたって、E-1 での各種開発は20世紀における科学的かつ技術的進歩の海軍への導入に重要な役割を果たした。そして、それらの多数が海軍によって開拓された。
10月14日、E-1 はノース・リバーでの観閲式においてジョージ・フォン・レンガーク・マイヤー海軍長官の観閲を受ける[1]。
E-1 は重要な開発試験の継続と、大西洋艦隊との訓練を5年間継続した。1917年4月6日、アメリカはドイツに宣戦し第一次世界大戦に参加[1]。E-1は12月4日にニューポートを出航、別の任務のため曳船ライケンズに曳航されてアゾレス諸島に向かった[1]。7日に強風により曳船から切り離されるトラブルがあり、途中からは自力で目的地まで航行している[1]。1918年1月12日からポンタ・デルガダとオルタの間を哨戒し、諸島をドイツのUボートや水上艦艇から防衛した[1]。5月27日にポンタ・デルガダ港近辺でUボート発見の報を受けて急行したが、発見には至らなかった[1]。7月と8月にバッテリーの問題が発生し、現場では交換ができなかったことから9月17日にニューロンドンに帰還した[1]。オーバーホール後まもない11月11日に休戦協定が締結される[1]。E-1 は新任の潜水艦乗員の訓練および聴音機材の実験を行った[1]。
E-1 は1920年3月20日に予備役となり、4月22日にノーフォークに到着した[1]。同地で1921年7月18日に通常任務に復帰し、9月17日にフィラデルフィアに向けて出航する[1]。フィラデルフィアで1921年10月20日に退役し、1922年4月19日に売却された[1]。
脚注
出典
外部リンク
- navsource.org
- history.navy.mil - ウェイバックマシン(2004年3月13日アーカイブ分)
- この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。
E1 (潜水艦)
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チャタム工廠で建造。1911年2月14日起工。1912年11月9日進水。1913年5月6日就役。建造費用10万1700ポンド。
第一次世界大戦中E1はバルト海のイギリス潜水隊に属していた。
E1はE5と共に、バルト海へ潜水艦を送り込む前段階としてスカゲラク海峡を偵察した。それから、1914年10月15日にE2とE9がゴーレストン (Gorleston) から出航し、バルト海への進入に成功した。10月18日、E1はキール湾で装甲巡洋艦フュルスト・ビスマルクを攻撃したが失敗に終わった。1915年8月19日、リガ湾の戦いの最中E1はドイツの巡洋戦艦モルトケを雷撃して損傷させた。
1918年4月3日、フィンランド湾のハーマヤ島 (Harmaja) 沖でドイツ軍による捕獲を避けるため自沈した。
参考文献
- Submarines, war beneath the waves, from 1776 to the present day, by Robert Hutchinson.
- The Royal Navy Submarine Service, A Centennial History, by Antony Preston.
- E 1 in hylyt.net (フィンランド語)
- Finnish Submarines in Finnish Navy in World War II
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