アーカンソー (モニター)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/03 14:03 UTC 版)
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艦歴 | |
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発注 | |
起工 | 1899年11月14日 |
進水 | 1900年11月10日 |
就役 | 1902年10月28日 |
退役 | 1919年8月20日 |
その後 | 1922年1月26日にスクラップとして売却 |
除籍 | |
性能諸元 | |
排水量 | 3,225トン |
全長 | 255 ft 1 in (77.76 m) |
全幅 | 50 ft (15.24 m) |
吃水 | 12 ft 6 in (3.81 m) |
機関 | |
最大速 | ノット |
乗員 | 士官、兵員220名 |
兵装 | 12インチ砲2門、4インチ砲4門、6ポンド砲2門 |
アーカンソー (USS Arkansas, M/BM-7) は、アメリカ海軍のモニター艦。アーカンソー級モニターの1隻。艦名はアーカンソー州に因む。その名を持つ艦としては2隻目。
艦歴
アーカンソーは1899年11月14日にニューポート・ニューズ造船所で起工した。1900年11月10日に進水し、1902年10月28日に艦長C・E・ブリーランド中佐の指揮下就役した。
整調後のアーカンソーの最初の任務は海軍兵学校生の訓練巡航であった。北大西洋艦隊の沿岸戦隊に配属され、東海岸を巡航、メキシコ湾や西インド諸島で活動した。海軍兵学校生の夏季巡航も継続し、1906年には再び海軍兵学校での教育任務に配属された。
アーカンソーは1909年3月2日にオザーク (USS Ozark) と改名され、1910年6月26日から1913年3月6日までコロンビア特別区の海軍民兵に配属された。3月末にバージニア州ノーフォークでの改修が始まり、潜水母艦に改修、7月12日から同任務に就く。1914年の大半をメキシコ湾での特別任務で過ごし、1915年には大西洋艦隊に合流、艦隊演習に参加した。1916年にはチェサピーク湾海域で活動した。
1917年4月6日に大西洋艦隊第6潜水戦隊に配属され、メキシコのタンピコに派遣、メキシコ革命においてアメリカ人の権益保護任務に当たる。キーウェスト沖合、中央アメリカおよびパナマ運河地帯で活動した後、1918年12月18日にニューオーリンズに向かう。1919年6月23日にハンプトン・ローズに帰還し、8月20日にフィラデルフィアで退役した。オザークは1922年1月26日に売却された。
外部リンク
- navsource.org
- history.navy.mil: USS Ozark - ウェイバックマシン(2004年3月29日アーカイブ分)
- この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。
「アーカンソー (モニター)」の例文・使い方・用例・文例
- 古代の温泉を特徴とするアーカンソーの国立公園
- オザーク山地の北西部アーカンソーの学園都市
- オクラホマ州との境にあるアーカンソー川のそばにあるオクラホマ州西部のとある町
- アーカンソー西中部の町
- アーカンソー州北東部の都市
- アーカンソー川沿いにあるアーカンソーの中央地域のアーカンソー州都で最も大きい市
- アーカンソー川に面したのアーカンソー南東中部の町
- テキサスのテクサーカナに隣接したテキサス州境の南西アーカンソーのある町
- アーカンソー川沿いのカンザス南西部の町
- アーカンソー川沿いのオクラホマ東部の町
- アーカンソー州テクサーカナに隣接するテキサス州北東部の町
- コロラドのロッキー山脈で生じて、ミシシッピ川の支流になるためにカンザスとオクラホマで、またアーカンソーで南東に流れる川
- ニューメキシコ北東部に源を発し、テキサス州最北部の地域を東向きに流れ、オクラホマ州でアーカンソー川の支流になる川
- ニューメキシコ北東部に源を発し、東向きにオクラホマに流れ、そこからアーカンソー川の支流となる川
- 東カンザスに昇り、アーカンソー・リバー支流へと東向きにオクラホマに流れる川
- ミズーリで上って、アーカンソーを通って南東に流れるミシシッピー川の支流
- 北アーカンソーと南ミズーリを通り南東に流れるミシシッピ川の支流
- 現在の南北ダコタ州、ネブラスカ州、カンザス州、アーカンソー州、ルイジアナ州、オクラホマ州、テキサス州に住んでいたプレーンズ・インディアンの部族
- アーカンソー州アーカンソー川流域のスー族の一員
- アーカンソー生まれの人または居住者
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