ニュートンの年代学
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「アイザック・ニュートンのオカルト研究」の記事における「ニュートンの年代学」の解説
ニュートンは年代学に関しても広く著書を残している。1728年の『古代王国年代記』(en:The Chronology of Ancient Kingdoms) は、およそ8万7千語の構成で様々な古代王国の興亡について詳説している。ニュートンみずから出版のための校正を行い、大半は校正済みであったが、結局『古代王国年代記』が出版されたのは彼の死後であった。このような事情から、この本はニュートンが校正済みの最後の著書のひとつとして数えられる。1701年前後にも、ニュートンは『君主制の原型』(The Original of Monarchies) と題する30ページの未発表書簡を執筆しており、この中では古代全体から数人の王の興りを取り上げ、ノアの人物像までさかのぼって検討している。 ニュートンの年代記はヨーロッパ中心主義で、原初の記録としてギリシャ・アナトリア・エジプト・レバントを取り上げている。ニュートンの記述の多くは正しい歴史上の知識に基づいていない。ニュートンはいくつかの先史時代の出来事を聖書の記述から取り上げており、歴史上の最古の記録を紀元前1125年としている。ニュートンはここでアスワンからヘリオポリスまでの上エジプトの支配者としてメフレス (Mephres) を取り上げている。だが、現在知られる紀元前1125年のファラオはラムセス9世である。 ニュートンの提示した年代には現代から見れば不正確なものがあるとはいっても、現代の科学的な考古学はニュートンの時代には存在しなかったのである。実際のところ、ニュートンが算定した年代は、大部分はヘロドトス・プリニウス・プルタルコス・ホメロスなど様々な古代の歴史家・作家・詩人の著書に基づいており、原典からして二次ソースや年代が不確かな口承記録に基づいていることが多いのである。ニュートンの年代学の方法は様々な原典から歴史上の情報を集め、当時の理解・基準・手に入る史料をもとに年代を割り出して整理する、というものであった。
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