ニュージーランド人を表す「キーウィ」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/23 09:56 UTC 版)
「キーウィ (人)」の記事における「ニュージーランド人を表す「キーウィ」」の解説
20世紀初頭、特にニュージーランドの兵士やオールブラックスの選手たちに対して国際的な呼称として用いられていたのは、国名の頭文字と関連した「エンゼダーズ」や、マオリ人と彼らの国に対する歴史的な貢献をほのめかす「マオリランダーズ」などであり、これらの呼び名は、1914-18年の第一次世界大戦終戦辺りまで使用されていた。ニュージーランドの兵士たちは「ディガーズ」や「ピッグ・アイランダーズ」と呼ばれることも多かったが、1917年までには「キーウィーズ」とも呼ばれていた。 キーウィの絵は、1886年に南カンタベリ大隊が使用してから軍の記章として使われはじめ、いくつかの連隊も第一次世界大戦時に身につけていた。そこから、「キーウィーズ」はニュージーランドの連隊の兵士を意味するようになった。このニックネームは、ニュージーランド人が鳥のキーウィのように小さくずんぐりしているとか、夜行性だというような身体的な特性を示すものとして使われ始めたのではなく、単にキーウィという鳥がニュージーランド特有で、独特であるからという理由からであった。ニュージーランドの連帯の記章として目立つ使い方をされたため、ニュージーランド軍を連想しやすくなり、結果的にキーウィは戦場において一般的な呼び名となった。 1918年11月の第一次世界大戦終戦後、多くのニュージーランド兵らが国への輸送を待ち、数ヶ月から数年に渡りヨーロッパに滞在した。1919年初期には、イングランド・ウィルトシャーのソールズベリー平原に位置するバルフォードに建てたスリング・キャンプにて、ニュージーランド兵らが近くの丘にチョークでキーウィの絵を刻んだ。ニュージーランド兵の駐留は、「キーウィーズ」という呼び名をヨーロッパに広めることに繋がった。 キーウィという名のものでは、同名のオーストラリアの靴磨きクリームのブランドがイギリス帝国軍の間で最も広く知られていた。靴磨き製品の開発者であるウィリアム・ラムジーは、妻の出生地であるニュージーランドに敬意を表して「キーウィ」と名付けた。1906年からは、キーウィ・シューポリッシュはイギリスとアメリカ合衆国にて広く売られ始め、キーウィのシンボルはより広く知られるようになった。オーストラリアン・ナショナル・ディクショナリーは、とてもよく磨かれた靴を持っているオーストラリア軍の新兵を意味する「キーウィ・キッズ」や「キーウィーズ」の初出が、1917年であるとしている。 1939-45年の第二次世界大戦後、「キーウィ」の名は少しずつニュージーランド人全体を表すようになり、今日では、世界的にキーウィと呼ばれるようになると共に、ニュージーランド人自らもその愛称をよく名乗るようになった。
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