ニュージーランド勢の台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 00:40 UTC 版)
「アメリカスカップ」の記事における「ニュージーランド勢の台頭」の解説
チーム・ニュージーランドはオークランドで開催された2000年の第30回大会においてイタリアのヨットクラブ・イタリアーノ(Yacht Club Italiano)から出場したプラダ・チャレンジの挑戦を退けカップ防衛に成功する。 アメリカズカップの連覇に成功したスキッパーのラッセル・クーツはニュージーランドの国民的英雄となるが、一方でチームは慢性的な資金不足に陥っており、クーツはタクティシャンであるブラッド・バタワースら主要メンバーを引き連れスイスのチーム・アリンギに移籍してしまう。チームの核を失ったニュージーランドは、カップ奪回を目指すアメリカ系チーム等にその他の選手も引き抜かれ崩壊状態となってしまうが、その一方で各国チームの主要ポジションにニュージーランド選手が就くという結果にもなった。チーム・ニュージーランドはトム・シュナッケンバーグが代表に就任、クーツの控えであったディーン・バーカーを新たなスキッパーに据える等、若手を中心としたチーム再建をはかった。 そして迎えた2003年の第31回大会、スイスのソシエテ・ノーティーク・ドゥ・ジュネーブ(Société Nautique de Genève:SNG)から出場したチーム・アリンギは順調に挑戦者決定戦を勝ち上がり、チーム・ニュージーランドと対戦することとなった。しかし前述のごとくアリンギの中心メンバーもニュージーランド勢であり、実質的に新旧ニュージーランド代表の対戦という様相となった。その結果アリンギは圧倒的な強さでチーム・ニュージーランドを破り、カップは史上初めてヨーロッパ大陸へ渡ることとなった。またクーツはカップ3連勝となり新たな"ミスター・アメリカズカップ"と呼ばれるに至った。 カップを奪取したソシエテ・ノーティーク・ドゥ・ジュネーブはレマン湖を拠点とするヨットクラブであるため、海のないスイスでの開催は困難と判断され、続く第32回大会はスペイン・バレンシアで開催されることとなった。その大会に向けた準備期間中、クーツは運営方針を巡りチームオーナーであるエルネスト・ベルタレリと対立、アリンギを脱退する。その結果クーツは選手の移籍を制限した大会規定により第32回大会へ出場できなくなった。ベルタレリはタクティシャンであったブラッド・バタワースをスキッパーへ昇格、新たにエド・ベアードをヘルムスとして招聘し第32回大会へ出場した。 第32回大会は2007年に開催され、ここでも挑戦者決定戦を勝ち上がってきたのはディーン・バーカー率いるエミレーツ・チーム・ニュージーランドであった。一方的展開となった前回大会とは異なり今回は接戦となったが、最終的に5勝2敗でアリンギがカップ初防衛を果たした。
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