ナポレオン3世への誘惑とは? わかりやすく解説

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ナポレオン3世への誘惑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 02:21 UTC 版)

ヴィルジニア・オルドイーニ」の記事における「ナポレオン3世への誘惑」の解説

トスカーナ大公国のオルドイーニ侯爵の娘としてフィレンツェ生まれたニックネームの"Nicchia"で知られていた。17歳の時、カスティリオーネ伯爵結婚し、1子をもうけた1855年フランスへ向かい同年12月25日夫と子供伴いパリ到着しテュイルリー宮殿ないしサントノレ通り界隈カスティリオーヌ通り (fr) 10番地に居住した。翌1856年1月9日マチルド・ボナパルト王女主催バルナポレオン3世出会うマチルド対立関係にあったウジェニー皇后出産のため欠席していた。 ナポレオン3世とは、1856年から1857年4月までの間、愛人ないし愛妾関係が続くが、皇帝伯爵夫人偽装結婚をし、この姦通宮廷スキャンダルになったイタリア寵姫カスティリオーネの名前が醜聞となることで、夫の要求別居し離婚等しい状態となった。カスティリオーヌ通りにある豪華な館を引き払わざるをえず、帰国したイタリアでは、妻が作った借金返済するためにすべての財産売却しなければならなかった。 2年間の関係でしかなかったにかかわらず根拠のない噂や世間話によると、カスティリオーネ伯爵夫人1862年皇帝非嫡出子である、後に歯科医になるアーサー・ヒューゲンシュミット(アルチュール・ユーゲンシュミット, fr) の母親であると言われる。のちに、下記のように彼女に熱狂したロベール・ド・モンテスキュー伯がヒューゲンシュミットへの詩で触れている。 伯爵夫人は、ナルシスト自己陶酔的、あるいは気まぐれで、皇帝宮廷秘密資金から提供する贈り物公に誇ったりしたが、皇帝自分自身無愛想にし、新し愛人マリアンヌ・ヴァレフスカ伯爵夫人 (Comtesse Marianne Walewska) に心変わりした皇帝相手にすることに疲れたまた、このような形で欧州王室社交界デビュタントしたため、半社交界婦人 (ドゥミ=モンデーヌ, Demi-mondaine) ないしクルチザンヌとも括られる。けれども伯爵夫人ヴィルジニアは、従兄にあたるカヴール依頼されナポレオン3世愛人となり、別れた後もその影響力でフランスサルデーニャとの同盟関係1858年7月プロンビエールの密約)に結びつけたと主張していた。 ナポレオン3世との関係が続く間、というよりこのスキャンダルおかげで、彼女は後に普仏戦争により"統一ドイツ皇帝"となるヴィルヘルム1世王妃アウグスタ・フォン・ザクセンやプロイセン宰相ビスマルク、後にフランス第三共和政初代大統領となるアドルフ・ティエール、その他当時大物王侯貴族らと接触することができた。

※この「ナポレオン3世への誘惑」の解説は、「ヴィルジニア・オルドイーニ」の解説の一部です。
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