ナッシュビルサウンドとは? わかりやすく解説

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ナッシュビル・サウンド[Nashville sound]


ナッシュビル・サウンド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/03 08:00 UTC 版)

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ナッシュビル・サウンド
Nashville sound
様式的起源 カントリー・ミュージック, ポップ・ミュージック
文化的起源 1950年代のテネシー州ナッシュビル
使用楽器 ギター, 弦楽器, ベース, ドラム, バンジョー, ヴォーカル
派生ジャンル カントリーポリタン, カントリー・ポップ
関連項目
カントリー・ミュージシャン– カントリー・ミュージックの年表

ナッシュビル・サウンド (Nashville sound ) は、1950年代後期のアメリカ合衆国カントリー・ミュージックを基礎としたサブジャンル。1940年代から1950年代に最も人気があったホンキートンクの優性。時代や様相を言及するものではなく、作品や1957年または1958年にテネシー州ナッシュビルで演奏されたサウンドそのものを指す[1][信頼性要検証]

起源

ナッシュビル・サウンドはテネシー州ナッシュビルのデッカ・レコードRCAレコードコロムビア・レコードのスタッフおよびマネージャーのスティーヴ・ショールズ音楽プロデューサーチェット・アトキンスオウエン・ブラッドリー、ボブ・ファーガソン、レコーディング・エンジニアのビル・ポーターにより開始された。彼らは弦楽器、バック・コーラス、ささやくようなリード・ヴォーカルによる1950年代のポップ・ミュージックと、フィドルスティール・ギター、鼻にかかったリード・ヴォーカルによるホンキートンク、そして敏腕プロデューサーとポップ・ミュージックの構成から新たなサウンドを作り上げた[2][3]。プロデューサーたちはスタジオ・ミュージシャンの小さなグループで知られるナッシュビルAチームの早い順応性と創造性を頼り、彼らはヒット曲製作上不可欠となった。1960年代初頭、アニタ・カー・カルテットはバック・コーラス・グループの主流となった。1960年、『タイム』誌はナッシュビルについて「レコード製作においてニューヨークに次いで、ハリウッドと僅差で2番目に全米最大の都市」と記した[4]

カントリー研究者であるリッチ・キンズルは、1956年11月のファーリン・ハスキーによるヒット曲「Gone」について「ナッシュビル・サウンド形成に大きな役割を果たした」と記した。作家のコリン・エスコットは1957年2月のジム・リーヴズによる「Four Walls」を「ナッシュビル・サウンドの最初の曲」とし、同年後期のドン・ギブソンによる「オー・ロンサム・ミーOh Lonesome Me)」を例にしてRCAプロデューサーでギター奏者のチェット・アトキンスがナッシュビル・サウンドの創始者であるとした[1]

デイヴィッド・キャントウエルはエッセイ『Heartaches by the Number: Country Music's 500 Greatest Singles 』の中で、1956年7月のエルヴィス・プレスリーによるロックンロールの曲「冷たくしないでDon't Be Cruel)」が現在ナッシュビル・サウンドと呼ばれる時代の幕開けとなったと記した[1]。音楽研究者や批評家の多くはこのキャントウエルの意見に否定的で「冷たくしないで」は純粋なロカビリーであると考えている。事実、この曲はニューヨークで収録されている。「ナッシュビル・サウンド」という言葉は1958年の『Music Reporter』の記事で最初に登場し、1960年の『タイム』誌のリーヴズについての記事で再び登場した[5]

ナッシュビル・サウンドに関して、音楽プロデューサーのオウエン・ブラッドリーは「カントリー・ミュージックからフィドルとスティール・ギターをカットしてコーラスを追加した。しかしこれで終わりではない。新鮮さを保つために常に発展し続ける」と語った[6]

カントリーポリタン

1960年代初頭、ナッシュビル・サウンドはカントリーとしてはライバルのベイカーズフィールド・サウンドにより[2]、ポップとしてはブリティッシュ・インヴェイジョンにより変化し始め、これらのミックスはナッシュビル・サウンドの大スターパッツィー・クラインとジム・リーヴズの飛行機事故死により突然終息した。ナッシュビルのポップ・ソングは実際のオーケストラを用いて荘厳な弦楽器演奏を使用し、しばしばクワイアによるバック・コーラスを使用し、より洗練されたサウンドを形成してカントリーポリタンと呼ばれるようになった。カントリーポリタンは市場の主流を狙い、1960年代後期から1970年代初期にかけて成功をおさめた。タミー・ワイネットの初期の売り出しに尽力したプロデューサーのビリー・シェリル、およびグレン・サットンが協力してこのサウンドを構築した。カントリー ポリタンの典型的アーティストにはタミー・ワイネット、グレン・キャンベル(ただしナッシュビルではなくハリウッドでレコーディングした)、リン・アンダーソン、チャーリー・リッチ、チャーリー・プライドなどがいる[3]

カントリーポリタンがポップ・チャートの上位に入っている間も、カントリー愛好者の間ではベイカーズフィールド・サウンド、そしてのちのアウトロー・カントリーも流行していた[3]

ナッシュビル・サウンドとは何かと尋ねられたチェット・アトキンスはポケットに手を入れて小銭を鳴らし、「これだよ。金の音だ」と語った[7]

カントリー・ポップ

1970年代後期から1980年代にかけて、多くのポップ歌手がカントリーポリタンのスタイルを用いてカントリー・ミュージックとソフトロックのフュージョンからカントリー・ポップを作り上げた。

ナッシュビル・サウンドの例

当時のナッシュビル・サウンドの一例を以下に示す:

カントリーポリタンの例

脚注

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  1. ^ a b c The "Nashville Sound" Begins”. 2011年8月8日閲覧。
  2. ^ a b The Tennessee Encyclopedia. Nashville Recording Industry. Accessed July 9, 2008.
  3. ^ a b c Sanjek, Russell. (1988). "American Popular Music and Its Business: the first four hundred years". Oxford University Press. ISBN 0-19-504311-1.
  4. ^ アーカイブされたコピー”. 2008年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年11月11日閲覧。
  5. ^ AboutMusic.com The Nashville Sound by Robert Silva≤
  6. ^ Du Noyer, Paul (2003). The Illustrated Encyclopedia of Music (1st ed.). Fulham, London: Flame Tree Publishing. p. 14. ISBN 1-904041-96-5. 
  7. ^ http://www.emusic.com/features/spotlight/286_200709.html

関連事項


ナッシュビル・サウンド

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オウエン・ブラッドリー」の記事における「ナッシュビル・サウンド」の解説

詳細は「ナッシュビル・サウンド」を参照 長い間カントリー・ミュージック野暮ったい庶民的音楽とみられており、アメリカ合衆国南部アパラチア小さな町裕福でない人々聴くものとされてきた。1950年代後期ブラッドリー活動するナッシュビルは『グランド・オール・オープリー』の古くからの本拠地としてだけでなく、レコード業界中心地であった。ナッシュビル・サウンドは16番通り804番地にあった弟ハロルド・ブラッドリーと共有していた家に接続した半円型のプレハブのクォンセットから始まった。 このクォンセットはポップクロスオーバーし、より商業的なカントリー・ミュージックの発祥地考えられている。アメリカ音楽のこの独特のジャンルはグラディ・マーティン、ボブ・ムーア英語版)、ハンク・ガーランド、バディ・ハーマンなどブラッドリー厳選したナッシュビルAチームから当初発展していった。ブラッドリーのクォンセットのスタジオ成功により、RCAビクターは現在も有名なRCAスタジオB建設することを決めた多くの他のレーベル次々と開業し現在のミュージック・ロウへと発展していった。ブラッドリーとその仲間たちは軽いメロディとより洗練された歌詞ミックスしてさらにポップ感性追加してナッシュビル・サウンドを作り上げ、のちにカントリーポリタンとして知られるようになった騒々しいホンキートンクピアノはフロイド・クレイマーにより人気となったイージーリスニングピアノ置き換えられた。ただし1950年代ブラッドリーはホンキートンク・ブルース歌手ピアノ奏者のムーン・マリカンとレコーディングすることになり、ブラッドリープロデュースしたマリカンのセッションはマリカンのオリジナルのブルース・スタイルとナッシュビル・サウンドを融合した実験的作品となったマウンテン・ミュージックフィドル弦楽合奏置き換えられスティール・ギター耳障りの良いバック・コーラス追加された。 ナッシュビル・サウンドに関してブラッドリーは「現在私たちカントリー・ミュージックからフィドルスティール・ギターカットしてコーラス追加した。しかしこれで終わらない。常に新鮮であるために常に発展していくのだ」と語った

※この「ナッシュビル・サウンド」の解説は、「オウエン・ブラッドリー」の解説の一部です。
「ナッシュビル・サウンド」を含む「オウエン・ブラッドリー」の記事については、「オウエン・ブラッドリー」の概要を参照ください。

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