カントリーポリタン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/03 08:00 UTC 版)
「ナッシュビル・サウンド」の記事における「カントリーポリタン」の解説
1960年代初頭、ナッシュビル・サウンドはカントリーとしてはライバルのベイカーズフィールド・サウンドにより、ポップとしてはブリティッシュ・インヴェイジョンにより変化し始め、これらのミックスはナッシュビル・サウンドの大スターパッツィー・クラインとジム・リーヴズの飛行機事故死により突然終息した。ナッシュビルのポップ・ソングは実際のオーケストラを用いて荘厳な弦楽器演奏を使用し、しばしばクワイアによるバック・コーラスを使用し、より洗練されたサウンドを形成してカントリーポリタンと呼ばれるようになった。カントリーポリタンは市場の主流を狙い、1960年代後期から1970年代初期にかけて成功をおさめた。タミー・ワイネットの初期の売り出しに尽力したプロデューサーのビリー・シェリル、およびグレン・サットンが協力してこのサウンドを構築した。カントリー ポリタンの典型的アーティストにはタミー・ワイネット、グレン・キャンベル(ただしナッシュビルではなくハリウッドでレコーディングした)、リン・アンダーソン、チャーリー・リッチ、チャーリー・プライドなどがいる。 カントリーポリタンがポップ・チャートの上位に入っている間も、カントリー愛好者の間ではベイカーズフィールド・サウンド、そしてのちのアウトロー・カントリーも流行していた。 ナッシュビル・サウンドとは何かと尋ねられたチェット・アトキンスはポケットに手を入れて小銭を鳴らし、「これだよ。金の音だ」と語った。
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