ドーピング検査導入前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 06:00 UTC 版)
「メジャーリーグベースボールのドーピング問題」の記事における「ドーピング検査導入前」の解説
のちにアメリカ野球殿堂入りを果たすパッド・ガルビンは1889年シーズン中に、チャールズ・ブラウン=セカールが発見したサルの睾丸から抽出したテストステロンの注射を公然と行っており、当時はまだアナボリックステロイドは発明されていなかったが、その前駆体と考えられている。MLBで最初に運動能力向上薬物が使用された事例として知られている。 アメリカ野球殿堂入りを果たしたミッキー・マントルはロジャー・マリスとの本塁打王争いを繰り広げた1961年シーズンの終盤に、突然膿瘍を発症した。ステロイドやアンフェタミンが含まれる「いんちき医者」が注射した針からの感染によるものと見られている。また、ハンク・アーロンも自伝でアンフェタミンを一度だけ使用したと認めている。ウィリー・メイズは現役時代晩年にアンフェタミンを液状にして「レッドジュース」と称して飲んでいた姿をチームメイトに目撃されている。 1985年のピッツバーグ薬物裁判に関連して数多くの選手が大陪審に召喚されたが、アンフェタミンの使用についても複数選手から証言が出た。ピッツバーグ・パイレーツのデール・ベラは「ウィリー・スタージェルとビル・マドロックがチームメイトにアンフェタミンを提供していた事を主張した。 マイク・シュミットは2006年に出版された本の中で「野球界ではアナボリックステロイドよりもアンフェタミン使用の方が遥かに一般的であり、長く続いている」「メジャーリーグのクラブハウスで簡単に入手出来た」と述べ、出版の際のニューヨーク・タイムズ紙の電話インタビューで「アンフェタミンを2、3回使用した」と告白している。リッチ・ゴセージも2013年のインタビューで「運動能力向上目的では無かった」としつつも、現役時代にアンフェタミンを使用していたと認めた。 1970年代にプレーしたトム・ハウスは球速を上げるためにアナボリックステロイドを一時期使用していた事を認めており、当時少なくとも1チームあたり6、7人の投手はステロイドやヒト成長ホルモン(HGH)を試していたと推定している。回復力は高まったが球速の方は上がらず、長期的な害を及ぼす危険性について学習した後にステロイドを止めたとしている。 ケン・カミニティは現役引退後の2002年5月に、肩の故障からの回復を早めるために1996年からステロイドの使用を始め、数シーズン使用していたと告白した。1996年は自己最高の打率.326・本塁打40・打点130を記録し、MVPも受賞している。筋肉が過剰に強くなったためにその後は靭帯や腱などの関節部分を相次いで故障し、引退後も男性ホルモンの分泌が極端に少なくなるなどの後遺症に苦しめられ、躁うつ状態にもなった。また、「少なくとも半数の選手はステロイドを使用している」と発言した。カミニティは2004年10月10日にコカインの過剰摂取が原因で心臓発作を起こし、41歳で死去した。 『公認野球規則』へは記載されなかったが、1991年6月7日にはMLBコミッショナー、フェイ・ヴィンセントが医者の指示が無い限りはステロイドを使用を禁止するように全チームへ通達を出した。アメリカ合衆国国内での流通も法律上禁止されていた。MLB選手がステロイドを使用している事は報道されていたが、その問題をバド・セリグコミッショナーや選手会は軽視していた。
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