ドーピング疑惑問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:58 UTC 版)
「ジェフ・ウィリアムス」の記事における「ドーピング疑惑問題」の解説
2007年12月13日に公表されたメジャーリーグの薬物使用実態調査「ミッチェル報告書」において、薬物の取引に関与した選手としてウィリアムスの名前があげられた。同報告書では、ニューヨーク・メッツの元職員で、薬物の違法取引で逮捕されたカーク・ラドムスキが、ステロイドホルモン剤をウィリアムスに販売したと証言している。「送金者ジェフ・ウィリアムス」「受取人カーク・ラドムスキ」と記載された1,820ドルの小切手(オフィシャルチェック)の日付は、阪神在籍中の2004年12月10日であった。ラドムスキの住居から連邦捜査官が押収したアドレス帳に、ウィリアムスの名前、住所、電話番号が記されていた。ウィリアムスはこの証言について話し合いを求められたが、要求に回答しなかった。 ミッチェル報告書では、ウィリアムスがアルバカーキ・デュークスに所属していた1999年にも薬物を使用していたことが、当時デュークスのコーチをしていたトッド・セイラーの証言を基に述べられている。当時のデュークスはロサンゼルス・ドジャース傘下のAAA級チームであり、セイラーの証言によると、1999年5月ごろから、ウィリアムスとチームメイトのマット・ハージェス、ポール・ロデューカ、マイク・ジャッド、リッキー・ストーンの5選手は、最高の体調でドジャースに昇格するために薬物を使用することをセイラーに相談していた。1999年7月にウィリアムスら5選手とセイラーは、ストーンのアパートに集まり、ステロイドを注射した。ウィリアムスとハージェスがステロイドを臀部に注射しているところを、セイラーは目撃した。ウィリアムスら5選手は、ステロイドの効果を高めるためにセイラーが作成したトレーニング・プログラムの提供を受けた。なお、ハージェスとロデューカは、ウィリアムスと同様にカーク・ラドムスキから薬物を購入した選手としても名前をあげられている。 阪神球団社長の南信男によると、ウィリアムスは日本において2006年5月31日にオーストラリアオリンピック委員会、7月15日に日本野球機構によるドーピング検査を受けているのに加え、2004年アテネオリンピックの際にもドーピング検査を受けており、3回とも検査の結果は陰性であった。阪神はウィリアムスの潔白という主張を信じるとして、2007年12月19日にウィリアムスとの契約更新を発表した。 ウィリアムス自身は、2008年1月15日、自らの公式ウェブサイト上で「僕はステロイドを使っていない」と主張した。同年1月29日に日本に到着した直後、関西国際空港で "I don't take steroids"(私はステロイドを使用していない)とプリントされたTシャツを着用して会見を行い、公式サイトと同様の主張を繰り返した上で、ミッチェル報告書にコピーが掲載された小切手について代理人に調査を依頼したと述べた。一方、告訴など法的な手続きについては今のところ考えていないと話した。 2008年2月13日、ミッチェル報告書においてウィリアムスと一緒にステロイドを注射したとされたマット・ハージェス、同16日にはポール・ロデューカが同報告書に関する声明を発表、過去の薬物使用(ロデューカは「過去の誤り」と称している)を認め、謝罪した。
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