トキワ莊時代とは? わかりやすく解説

トキワ荘時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 17:58 UTC 版)

赤塚不二夫」の記事における「トキワ荘時代」の解説

同年上京した石森手伝う形でトキワ荘移り第二次新漫画党結成参加する。のちに赤塚の母も上京ししばらくの間同居した。赤塚の母は向かい部屋住んでいた水野英子を非常に気に入り事あるごとに結婚勧めたという。当時赤塚トキワ荘一の美青年として認識されていた。後年イメージとは異なる、シャイ穏やかな赤塚青年の姿は、トキワ荘描いた様々な作品一致している。 当時赤塚少女漫画単行本3、4ヶ月に一冊描く貸本漫画家であり、原稿料前借をして漫画を描く自転車操業状態にあった将来悲観して漫画家廃業考え新宿キャバレー住み込み店員になろうと思った時期もあったが、安孫子素雄に「一応テラさん相談してみたら」と勧められ、父と同郷でもあるトキワ荘リーダー存在兄貴分として慕われていた寺田ヒロオ相談。すると寺田から「ちょっと待て。これのある間は、ここにいろ。なくなっても、もし漫画家として売れてなかったらキャバレーでもどこへでも行けばいい」と現金5万円を渡される当時国家公務員初任給は9200円)。またこの時期石森のおごりで映画浴びるほど観て、その経験後の作品活かされることになった1958年昭和33年)、作家不足に陥った少女クラブ増刊号で1作家1作品原則守りながら既存作家で補うために編集者石森との合作企画合作ペンネーム「いずみあすか」 名義作品発表した合作楽しさから、続いて石森水野英子との合作ペンネームU・マイア」 で『赤い火と黒かみ』『星はかなしく』『くらやみ天使』を合作し発表同年ちばてつや代原トキワ荘石森赤塚推薦し秋田書店名物編集者として知られる壁村耐三赤塚読切漫画依頼『まんが王』秋田書店1958年11月号にギャグ漫画ナマちゃんのにちよう日」を発表し同年12月号より「ナマちゃん」のタイトル赤塚無断連載決定する1961年昭和36年)、当時21歳だったアシスタント稲生茂子との結婚のためにトキワ荘退去その間に、横山光輝出張アシスタントつとめたこともある。

※この「トキワ荘時代」の解説は、「赤塚不二夫」の解説の一部です。
「トキワ荘時代」を含む「赤塚不二夫」の記事については、「赤塚不二夫」の概要を参照ください。

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