デビュー - 第1期カルテット時代とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > デビュー - 第1期カルテット時代の意味・解説 

デビュー - 第1期カルテット時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 00:24 UTC 版)

矢代俊一」の記事における「デビュー - 第1期カルテット時代」の解説

タヒチ』を離れた矢代は、間もなくして大学中退し21歳の時、音楽修業のために単身ニューヨーク渡った22歳の時、ジャズ世界登竜門である「モントルー・ジャズ・フェスティバル」に飛び入りセッション参加し、そのサックスで何万人もの客を総立ちにさせるという伝説作り、「ジャパニーズ・ミラクル・サックス・ボーイ」と大い称えられた。 その伝説をひっさげて帰国した矢代は、日本でもネム・ジャズインに参加してアメリカ超一流プレイヤーたちと激烈なセッション行いジャズ・シーン大きな話題となった日本ジャズ界のニュー・ヒーローとなった矢代は、23歳時に初めてのアルバム『矢代俊一ファースト』制作した。 その半年後、24歳になった矢代は、ピアニスト結城滉出会った初対面にして素晴らしセッション行った2人意気投合し、それをきっかけとして、当時日本ジャズ界のベスト・セレクトとの評価受けた第1期矢代俊一カルテットサックス矢代俊一ピアノ結城滉、ベース・サミー井上ドラム森村類)が結成された。 26歳の時、清涼飲料水CMのために作曲したワナビー」が、6万枚ヒットとなった。そのCM出演した矢代自身容貌話題呼び矢代一般からも広く人気集めるようになり、《ジャズ界貴公子》などと呼ばれるようになった続いてワナビー」をフィーチャーして制作されアルバム『矢代俊一セカンド』大ヒットし、「都会的なニュージャズブーム到来」などとマスコミにも取り上げられるようになり、矢代音楽的なキャリアはいったんピーク迎えたかに見えた。 だが、『矢代俊一セカンド』制作直後訪れた結城事故死が、大きな転機となった生涯パートナー信じて疑わなかった結城死に、強い衝撃受けた矢代は、それからしばらく音楽活動停止した。それに追い打ちをかけるように、海外志向強かったサミー英国移住し森村も自らのバンド結成したため、第1期矢代俊一カルテット空中分解態となった。そして、これ以降矢代は自らの最大ヒット曲である「ワナビー」を長らく封印することとなった。(『流星のサドル』)

※この「デビュー - 第1期カルテット時代」の解説は、「矢代俊一」の解説の一部です。
「デビュー - 第1期カルテット時代」を含む「矢代俊一」の記事については、「矢代俊一」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「デビュー - 第1期カルテット時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「デビュー - 第1期カルテット時代」の関連用語

デビュー - 第1期カルテット時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



デビュー - 第1期カルテット時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの矢代俊一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS