デビュー・アルバム『Nice and Nicely Done』
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「ザ・スピント・バンド」の記事における「デビュー・アルバム『Nice and Nicely Done』」の解説
やがて自分たちの演奏を地下室スタジオや学校の外にもっていきたいと思うようになり、ジョンはテネシー州ナッシュビルで実際のスタジオを経営する叔父のロビン・イートンにしばらく4トラックを送り続けていた。ロビンは彼らの音楽を気に入り、ナシュビルのスタジオに招待した。このようにして高校や大学の休みを利用してナッシュビルに通うようになり、レコーディングを重ねた結果がデビューアルバム『Nice and Nicely Done』に集約された。 ジョンによると、レコーディングが終わると「よくわからないまま、ロックバンドになるために必要であろうステップ」としてデモテープをあちこちに送るようになった。また同じ頃はインターネットの音楽コミュニティの創世記であり、バンドはMP3.comやsongfight.orgに積極的に参加するようになった。一部で“ネット上センセーション”と呼ばれるようになる流れに乗り、シングル「Oh Mandy」がヒットする。毎週ネット上で繰り広げられるソングライター・コンテストのおかげで、他にもシングル「Brown Boxes」「Direct To Helmet」「So Kind, Stacy」等が誕生した。インターネットという新しいバーチャル世界は彼らと世界中の人々を繋ぐツールとなり、特にMySpaceを活用して「ツアー中に泊めてくれる家や美容師まで見つけた」らしい。 また、たくさん送ったデモテープが功を奏し、インディーズ・レコード・レーベルBar-noneから声がかかり、このレーベルの元で北米地区リリースが決まった。シングル「Oh Mandy」の人気は感染し続け米国大手デパートのシアーズの広告キャンペーンで使われることにまで至った。デビュー・アルバムが店頭に並んだ頃には3か月に亘る全米ツアーも終わり、「地下室スタジオでのお遊びからようやく正式なバンドにステップアップできた」とジョンは振り返る。 人気はヨーロッパにも広がり、北米外の販路としてヴァージン・レコード関連会社、Radiate Recordsと契約する。『Nice and Nicely Done』はヨーロッパでもヒットし、UKチャートにのるようになり、主だった音楽フェスティバルに出演したり、ミステリー・ジェッツ、マキシモ・パーク、ザ・ストロークス、ザ・クークス、フィールズといった有名バンドとツアーをするまでになった。さらに、ヨーロッパツアーを終えたバンド、当時ヨーロッパで最も売れていたアークティック・モンキーズのサポートとして再び全米ツアーに出かけた。
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