ディロン・ラウンド
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ディロン・ラウンド(Dillon Round)は、1960年から1961年にかけて行われた関税および貿易に関する一般協定(GATT)の多角的貿易交渉である。
概要
GATTの第5回目の多角的貿易交渉で、アメリカ合衆国のアイゼンハワー政権(共和党)の経済担当国務次官として交渉を提唱したC・ダグラス・ディロン(C. Douglas Dillon)に因んで、ディロン・ラウンドと呼ばれる(ディロンは、交渉開始後も、続く民主党のケネディ政権で財務長官を務めた)。この交渉は、通称が付けられた初めての多角的貿易交渉であった。
本ラウンドには、26ヶ国・地域が参加して、工業製品の関税引き下げなどが合意された。また、1958年に欧州経済共同体(EEC)が成立したことを受け、EECの対域外関税や、共通農業政策のもとでの可変輸入課徴金制度が取り上げられたが、成果は得られなかった。
GATT/WTOの多角的貿易交渉
- 第1回(1947年、ジュネーヴ) - GATT成立
- 第2回(1949年、アヌシー)
- 第3回(1951年、トーキー)
- 第4回(1956年、ジュネーヴ)
- 第5回 ディロン・ラウンド(1960年-1961年)
- 第6回 ケネディ・ラウンド(1964年-1967年)
- 第7回 東京ラウンド(1973年-1979年)
- 第8回 ウルグアイ・ラウンド(1986年-1995年) - WTO成立
- 第9回 ドーハ開発ラウンド(2001年-)
ディロン・ラウンド
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「関税及び貿易に関する一般協定」の記事における「ディロン・ラウンド」の解説
「ディロン・ラウンド」も参照 1958年、アメリカ経済担当国務次官ダグラス・ディロンが5度目の多角的貿易交渉の開催を提唱した。これは1958年1月1日に欧州経済共同体(EEC)が発足し、EEC内で10パーセントの関税引き下げと20パーセントの数量制限緩和が行われることが決定され、このときEEC内の一部に当時EEC非加盟国であったイギリスなど欧州経済協力機構(OEEC)にまで貿易自由化を拡大すべきとする考え方があったのに対して、そのような対米貿易格差は許容できず貿易自由化はGATTの枠内で進められるべきと主張しアメリカが反発する立場をとったためである。このような背景から1960年9月1日からスイスのジュネーヴで開催された多角的貿易交渉は、ダグラス・ディロンの名を冠してディロン・ラウンドと呼ばれる。このディロン・ラウンド以降、多角的貿易交渉は交渉の開催を提唱した人や提唱がされた地名にちなんで「XXXXラウンド」と呼ばれるようになる。ディロン・ラウンドでは、特にEEC加盟諸国が個別に定めていた関税率をEEC加盟国で共通域外関税に移行するかどうか、EEC加盟国間で共通農業政策を導入するか、などが主な議題として取り上げられた。
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