ディウ【Diu】
ディーウ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/19 17:18 UTC 版)
ディーウ(દીવ, दीव, Diu)は、インドの西部、グジャラート州のアラビア海に突出するカーティヤーワール半島の南端に位置する小島。面積は38.5km2、人口は約23,000人。
行政区画としては、同じくポルトガル植民地だった3地域と共に、インドの連邦直轄領のダードラー・ナガル・ハヴェーリーおよびダマン・ディーウ連邦直轄領を構成している。
歴史
ポルトガル領
1509年ポルトガルの艦隊がグジャラート・スルターン朝、マムルーク朝(エジプト)、オスマン帝国の連合艦隊とディーウ沖の海戦の末、これを打ち破り、インド洋の制海権を手にいれた。1535年にバハードゥル・シャーがムガル帝国の脅威から防衛する為にポルトガルと同盟し、ポルトガルはディーウに要塞(ディーウ城)を建設した。1538年、ディーウ包囲戦。1546年、第二次ディーウ包囲戦 。1554年にはポルトガルがグジャラート・スルターン朝(ムザッファル・シャーヒー朝)からディーウ島の統治権を手にいれディーウはポルトガル領となった。
1961年にインドに返還されるまではポルトガルの飛び地領土、ポルトガル領インドの一部だった。ポルトガル植民地時代の建造物が幾つか残っている。
インド連邦直轄地
1961年にインド軍の侵攻により、ディーウはインドの支配下におかれた。1962年3月16日の併合宣言後、ゴア、ダマンおよびディーウ連邦直轄領(1962年 - 1987年)、ダマン・ディーウ連邦直轄領(1987年 - 2020年)、ダードラー・ナガル・ハヴェーリーおよびダマン・ディーウ連邦直轄領(2020年以降)の構成体として、現在に至る[1]。
脚注
- ^ “States of India since 1947/Dadra and Nagar Haveli and Daman and Diu”. worldstatemen.org. 2021年1月8日閲覧。
外部リンク
- 世界飛び地領土研究会―ディウ - ウェイバックマシン(2005年1月19日アーカイブ分)(日本語)
座標: 北緯20度42分53.99秒 東経70度59分03.69秒 / 北緯20.7149972度 東経70.9843583度
「ディウ」の例文・使い方・用例・文例
- 帝政期になると、クラウディウス氏族は影響力を持ち始めた。
- 表彰式?表彰台?のポディウムの綴りを教えてください。
- クラウディウスは、明確な征服の意図を持って英国に侵入した最初の人物だった
- プラスモディウム科の標準属
- プラスモディウム属の寄生性原生動物で、ヒトにマラリアをもたらす
- 深腫や高血圧の治療に用いられる利尿剤(商標名ディウリル)
- フリギア王ゴルディウスによって結ばれた複雑な結び目で、これを解く者は誰でもアジアの支配者になるだろうということを耳にしてアレクサンダー大王が剣で断ち切った
- 彼女の息子ネロが相続人であると宣言された後、クラウディウスを毒殺し、そして、ネロによって処刑された妻
- キク科ヨモギ属またはセリフィディウム属のいくつかの丈の低い草本の総称
- 熱帯アメリカのラン種の属で、しばしばキバナクマガイソウ、パフィオペディラム、およびセレニペディウムが含まれる:アツモリソウ
- ポリポディウム属の多数のシダ
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