ダマン・ディーウ連邦直轄領とは? わかりやすく解説

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ダマン・ディーウ連邦直轄領

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/04 01:13 UTC 版)

ダマンとディーウの位置
ダマンとディーウの位置(拡大図)

ダマン・ディーウ連邦直轄領(ダマン・ディーウれんぽうちょっかつりょう、Daman and Diu, દમણ અને દીવ, दमन और दीव)は、インドにかつて存在した連邦政府直轄領アラビア海に面したダマンディーウからなっていた。面積は112平方キロメートル、直近の人口は243,247人(2011年)だった[1]

歴史

グジャラート・スルタン国領

ダマンとディーウ両都市とも16世紀中頃まではムザッファル朝英語版グジャラート・スルターン朝の領地であった。

ポルトガル領

ディーウは1535年ポルトガル領となる。ディーウ自体は長さ10km程度の島であり、ポルトガルの要塞として使われた。なお、その対岸にある2つの村もポルトガル領ディーウの一部とされていた。1558年にポルトガル領となったのちは木材などの積出港、貿易拠点として栄える。ポルトガルはインドを最初に植民地化した西洋国だが、インド内陸部を支配する能力、動機とも備えておらず、交易の拠点となる商館を維持する政策を取った。最盛期にはインド西岸、南岸を中心に13都市を支配している。なお、18世紀後半からは内陸部のダードラー及びナガル・ハヴェーリーもポルトガル領ダマンの一部とされた(ただし、面積・人口ともダマン自体より大きい)。

その後20世紀中頃まではゴアと共にポルトガル領インドを構成していた。第二次世界大戦終結後、インドの独立を経ても、1961年までポルトガル領として留まった。

インド連邦直轄地

1961年12月19日、ゴア、ダマン、ディーウはインド軍の侵攻を受け占領下におかれる(インドのゴア軍事侵攻英語版)。翌62年3月16日、インドが併合宣言を行いゴア、ダマンおよびディーウ連邦直轄領英語版が成立。

1987年5月30日、ゴアが分離しダマン・ディーウ連邦直轄領となる[2]

2020年1月26日、ダードラーおよびナガル・ハヴェーリー連邦直轄領と合併し、ダードラー・ナガル・ハヴェーリーおよびダマン・ディーウ連邦直轄領となった[3]

脚注

  1. ^ States of India”. Statoids.com (2015年6月30日). 2021年1月8日閲覧。
  2. ^ States of India since 1947/Dadra and Nagar Haveli and Daman and Diu”. worldstatemen.org. 2021年1月8日閲覧。
  3. ^ REGD. NO. D. L.-33004/99”. egazette.nic.in. 2021年1月8日閲覧。

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