テレビ放送の開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 20:49 UTC 版)
1956年(昭和31年)12月1日、朝日放送(現・朝日放送グループホールディングス)・朝日新聞社・毎日新聞社(新日本放送の大株主)と合弁で大阪テレビ放送株式会社(おおさかテレビほうそう 略称 OTV、JOBX-TV 6ch)を設立してテレビ放送に参入した。その後、大阪地区ではもう1つテレビチャンネルが割り当てられ、ともに独自のテレビ局を持ちたい朝日放送と新日本放送は、別々に免許を申請。競願の結果、朝日放送は大阪テレビ放送と合併する事となり、新日本放送は1958年(昭和33年)6月1日に商号を「株式会社毎日放送」(まいにちほうそう、略称・MBS)に改め、大阪テレビ放送から資本と役員を引き揚げ、テレビ開局の為の人員の移籍を行い、1959年(昭和34年)3月1日に「毎日放送」としてテレビ放送を開始した。開局当初はフジテレビと日本教育テレビ(NET。現在のテレビ朝日)のクロスネットであったが、翌年に日本教育テレビに一本化された。テレビスタジオは、大阪市北区堂島の毎日大阪会館南館12階にあった。 キー局が教育専門局、なおかつ、当時のNET系列の純粋なフルネットはMBSだけであり、営業面や報道面など様々なハンデを背負いながらMBSのテレビ部門は発足し、毎日大阪会館南館に設けられたスタジオも小さい上に狭く、使い勝手が悪かった(Aスタジオ175m2、Bスタジオ100m2、Cスタジオ170m2と3つのスタジオがあった)。しかしMBSはこうしたスタジオ事情を逆手に取り、難波南街会館からの『番頭はんと丁稚どん』やうめだ花月劇場からの吉本新喜劇中継(現在の『よしもと新喜劇』)などの外部公開収録番組が生み出された。
※この「テレビ放送の開始」の解説は、「毎日放送」の解説の一部です。
「テレビ放送の開始」を含む「毎日放送」の記事については、「毎日放送」の概要を参照ください。
- テレビ放送の開始のページへのリンク