ダチア_(自動車)とは? わかりやすく解説

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ダチア (自動車)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/05 07:59 UTC 版)

Automobile Dacia
業種 自動車産業 
本社
売上高 26,011,000,000 ルーマニア・レウ (2023年) 
営業利益
813,000,000 ルーマニア・レウ (2023年) 
利益
529,000,000 ルーマニア・レウ (2023年) 
総資産 8,601,000,000 ルーマニア・レウ (2023年) 
従業員数
11,026 (2023年) 
ダチア・サンデロ

ダチアDacia )は、ルーマニア自動車メーカーで、現在はルノーグループ傘下。社名の由来は同国の古称「ダキア」から。

概略

設立

ダチア・1300

1966年に「UAP」の社名で設立し、翌年ルノー8を「ダチア1100」という名称でノックダウン生産した。1969年ルノー12を「ダチア1300」としてノックダウン生産し1972年から国産化された。ボディスタイルは当初は4ドアセダンのみだったが、後にステーションワゴン、5ドアハッチバックを追加、また試作車に終わったものの、2ドアクーペ「ブラショビア」までも発表されている。さらには1980年代初めに、5ドアハッチバックの上級モデル、ルノー20も「ダチア2000」として製造され、主に官公庁やルーマニア共産党の上級職員に愛用されていた。

独立からルノー回帰

1980年代中盤、ダチアは一旦ルノーと離れ、独自のモデルを開発していく。まず排気量500ccのミニカー「Lăstunダチア500、ルーマニア語で「つばめ」)」が1989年まで生産されていた。その後1994年から5ドアセダンの「ノヴァ」を製造。このノヴァは500の直後に開発されるはずが、ルーマニア革命前後の混乱の影響で生産が遅れをきたしていた。ダチアの業績は悪化し、ついに1999年にはルノーが株式の過半数を取得して傘下に収め、ルノーの元で経営再建を図ることとなった。ノヴァは2000年にルノー・クリオのエンジンを与えられて「スーパーノヴァ」となり、さらに2003年にはフェイスリフトが行われて「ソレンザ」と改名した。

ロガン登場

ダチア・ロガン

2004年にはニューモデル「ロガン」を発表した。既存ルノー各車のコンポーネントを巧みに組み合わせ、6000ユーロ(安全装備を含まない東欧仕様の価格。西欧仕様は7500ユーロから)という驚異的な低価格でまず4ドアセダンから発売した。

現在、ルーマニアを含む東欧諸国や、フランス(タヒチやニューカレドニアなどの海外県も含む)、ドイツ、スペインなどの西欧諸国へ輸出されている他、ロシアコロンビアモロッコインドで現地生産されており、近年中にイラン中華人民共和国マレーシアでも行われる予定である。また、2006年10月にはステーションワゴン(ロガンMCV)、2007年1月にはバン、2008年3月にはピックアップがラインナップに加わった。

車種拡充

さらに2008年にはハッチバックサンデロが、2009年末にはクロスオーバーSUVダスターがそれぞれ発表された。いずれもロガンのプラットフォームをベースに開発された。ダスターはフランスなどで高い人気を誇り、一部でバックオーダーとなった。

ネット販売開始

2011年9月15日からイタリアにおいてダチア車のオンライン販売を開始。車種、グレード、塗装色、オプション、担当ディーラーなどを選択し、保証金を支払い最短15クリックで自動車の注文ができるというもの。以降ヨーロッパの数ヶ国で同様のシステムが導入されている。

販売地域拡大

2012年にはミニバンロッジーおよび派生パネルバン/MPVのドッカー[1]を相次いで発表した。この2車種はモロッコ北部のタンジェに設立されたルノーの最新工場にて製造が行われる。またロシアのほか、左側通行インドイギリスアイルランドへも販路を広げており、右ハンドル仕様車の展開も増えている。

2022年1月の月間販売台数では、欧州全域の中でダチアのクロスオーバーSUVであるサンデロが1位を獲得した[2]

主な車種

現行生産車種

ダチアが展開されていない南米ロシアインドなどの地域ではルノーブランド車として販売される。

過去の生産車種

ダチア・ピックアップ
  • ダチア1100 (Dacia 1100) - 1968年から1971年まで製造
  • ダチア1300 (Dacia 1300) - 1969年から1983年まで製造
  • ダチア・MD87 (ro: Dacia MD87) - 1987年、1992年から1993年まで製造[3][4]
  • ダチア500 (Lăstun) - 1989年まで製造
  • ダチア・1325 - 1991年から1996年まで製造
  • ノヴァ (Nova) - 1995年から2000年まで製造
  • スーパーノヴァ (SuperNova) - 2000年から2003年まで製造
  • ソレンザ (Solenza) - 2003年から2005年まで製造
  • ピックアップ - ダチア1300がベース。2006年12月製造終了[5]
  • ロッジー
  • ドッカー

モータースポーツ

アラン・プロストがドライブするアンドロス・トロフィー仕様のダスター(2010年)
STCCに参戦(2015年)
ダカール・ラリーに参戦するサンドライダー(2024年)

ダチアのモータースポーツ活動は親会社に比べると小規模で、以前はフランスの氷上レースのアンドロス・トロフィーと、米国のパイクスピーク・ヒルクライムのみであった。ラリー界にスーパー2000規定が導入されたときも、フィアットに並んでいち早くローガンをベースとしたマシンの開発計画を立ち上げたものの、実現すること無く立ち消えとなった[6]

2013年にSTCC(スカンディナヴィア・ツーリングカー選手権)で、ディーラーチームによりサーキットレースへ初めて本格的な参戦を行った[7]。しかしTCR規定導入の2016年までに勝利を収めることはできなかった。

また2013年から2018年まで、親会社のレース部門であるルノー・スポール(現在のアルピーヌ)によって開発され日産のV8エンジンを搭載した、ダスターをベースとするT1がダカール・ラリーに参戦していた[8]。しかし当時の二輪駆動バギーが猛威を振るっていた環境では埋もれ、トップ10フィニッシュを果たせなかった。

2024年からは、それまで独自マシンで参戦していたプロドライブをダチアがワークス化した上でダカール復帰し、日産製V6ツインターボを搭載した『サンドライダー』を開発。ドライバーにはセバスチャン・ローブナサール・アルアティヤといった名ドライバーを招聘する[9]。アル=アティヤ/エドゥアルド・ブーランジェ組の活躍により、2024年W2RC(世界ラリーレイド選手権)のドライバー・ナビゲーター部門タイトルを獲得している。これはダチアにとって初のFIA世界選手権タイトルである(ただし同組は開幕戦ダカールのみ、プロドライブ・ハンターでの参戦)。

現在はオレカ製の共通コンポーネントを用いた、サンデロのグループR4キットカーラリーカーがプライベーターによって販売されている[10]

ワンメイクレースとしては、2007年からローガンを用いた低コストなダチア・カップがドイツ・フランス・ルーマニア・ロシアで行われている。

脚注

関連項目

外部リンク




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