ダイムラー・ベンツの設立とSシリーズの活躍(1926年 - 1929年)
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「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「ダイムラー・ベンツの設立とSシリーズの活躍(1926年 - 1929年)」の解説
グランプリレースの主催団体である国際自動車クラブ連盟(AIACR)が毎年のように車両規定を改正したことへの反発から、1920年代後半は重量規定などがないフォーミュラ・リブレが盛んとなる。1926年にダイムラーとベンツの合併により設立されたダイムラー・ベンツは、市販スポーツカーのメルセデス・ベンツ・S(W06)をレース用に転用して、レース活動を続ける。同車とその発展型は、ドライバーのルドルフ・カラツィオラ、「監督」のアルフレート・ノイバウアーと強力なトリオを形成し、活躍する。 1926年6月28日、ダイムラーとベンツが合併し、「ダイムラー・ベンツ」(Daimler-Benz AG)が設立され、自動車のブランド名は「メルセデス・ベンツ」になる。本社は旧ダイムラーの本社と同じシュトゥットガルトのウンターテュルクハイムに置かれ、レース車両開発も同地で行われることとなる。 7月11日、第1回ドイツグランプリ(アヴス)で、カラツィオラがグランプリレース初優勝を挙げる。この時期を境にノイバウアーはメルセデスチームのドライバーから監督に転身する。(→#「監督」ノイバウアーの登場) 1927年フェルディナント・ポルシェが前年に開発した市販スポーツカーのメルセデス・ベンツ・Sタイプ(英語版)(W06)をレース仕様に改修し、この年からレースで使用を開始する。(→#メルセデス・ベンツ・Sの登場) 6月、ニュルブルクリンク(ドイツ)が完成し、オープニングレースとして第1回アイフェル・レンネン(英語版)が開催される。Sタイプが予選で上位3位を独占し、決勝では1-2フィニッシュを飾る(ドライバーは優勝カラツィオラ、2位アドルフ・ローゼンベルガー) 1928年 ルドルフ・カラツィオラとメルセデス・ベンツ・SSK(1928年) フェルディナント・ポルシェがSタイプの発展型として、「SS」と「SSK」を完成させる。 末、フェルディナント・ポルシェがダイムラー・ベンツを去り、後任としてハンス・ニベルが技術部長に就任する。 1929年10月、世界恐慌が始まる。ドイツに進出していたアメリカ資本の会社も次々に撤退し、第一次世界大戦の敗戦とその後の不況から回復しつつあったドイツ経済にも深刻な影響を及ぼすことになる。
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