タイ・グエンとは? わかりやすく解説

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タイグエン市

(タイ・グエン から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/03 16:02 UTC 版)

タイグエン市
Thành phố Thái Nguyên
城庯太原
位置
タイグエン市
タイグエン市 (ベトナム)
座標 : 北緯21度36分 東経105度51分 / 北緯21.600度 東経105.850度 / 21.600; 105.850
行政
 ベトナム
 省 タイグエン省
  19 坊 9 村
タイグエン市
地理
面積  
  域 189.705 km2
人口
人口 (現在)
  域 330.000人
    人口密度   1.739,13人/km2
  備考 キン族
その他
等時帯 UTC/GMT +7
公式ウェブサイト : [1]

タイグエン市ベトナム語Thành phố Thái Nguyên / 城庯太原?  発音) はベトナムタイグエン省の省都である。

歴史

1917年8月から1918年1月まで、タイグエン蜂起ベトナム語版が行われていた。

1962年10月19日タイグエン省省都となった。1965年からはバクタイ省ベトナム語版(北太省、Tỉnh Bắc Thái)の省都となり、1996年11月6日にタイグエン省が復帰すると再び省都となった。

行政区画

以下の2111社から構成される。

  • カムザー坊(Cam Giá / 甘蔗
  • チュアハン坊(Chùa Hang / 厨𧯄
  • ドンバム坊(Đồng Bẩm / 同禀
  • ドンクアン坊(Đồng Quang / 同光
  • ザーサン坊(Gia Sàng / 嘉床
  • フオンソン坊(Hương Sơn / 香山
  • クアンチエウ坊(Quán Triều / 觀朝
  • クアンチュン坊(Quang Trung / 光中
  • ホアンヴァントゥー坊(Hoàng Văn Thụ / 黃文樹
  • ファンディンフン坊(Phan Đình Phùng / 潘廷逢
  • フーサー坊(Phú Xá / 富舍
  • クアンヴィン坊(Quang Vinh / 光永
  • タンラップ坊(Tân Lập / 新立
  • タンロン坊(Tân Long / 新隆
  • タンタイン坊(Tân Thành / 新誠
  • タンティン坊(Tân Thịnh / 新盛
  • ティンダン坊(Thịnh Đán / 盛旦
  • ティックルオン坊(Tích Lương / 積良
  • チュンタイン坊(Trung Thành / 忠誠
  • チュンヴオン坊(Trưng Vương / 征王
  • トゥクズエン坊(Túc Duyên / 宿緣
  • カオガン社(Cao Ngạn / 高岸
  • ドンリエン社(Đồng Liên / 同連
  • ホントゥオン社(Huống Thượng / 況上
  • リンソン社(Linh Sơn / 靈山
  • フックハ社(Phúc Hà / 福河
  • フックチウ社(Phúc Trìu / 福抽
  • フックスアン社(Phúc Xuân / 福春
  • クィエトタン社(Quyết Thắng / 決勝
  • ソンカム社(Sơn Cẩm / 山錦
  • タンクオン社(Tân Cương / 新綱
  • ティンドゥク社(Thịnh Đức / 盛德

中部高原

(タイ・グエン から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/30 16:15 UTC 版)

中部高原の位置

中部高原(ちゅうぶこうげん、ベトナム語Cao nguyên Trung bộ / 高原中部?)またはテイグエン[1][2]西原ベトナム語Tây Nguyên / 西原, 正し発音は「テイグイエン」ともいい)は、ベトナムを構成する地方の一つである。

地理

中部高原はコンゥトム高原(Kon Tum Plateau、500m)、プレイク高原(Pleiku Plateau、800m)、ダクラク高原(Đắk Lắk Plateau、800m)などから成っている。

歴史

この地方は、キン族以外の先住民族が古くから居住していた地域であり、ジャライ族Jarai)、エデ族(E De)などマレー・ポリネシア語派バーナー族、セダン族(Xo Dang)、コホ族(Co Ho)など多様な民族が現在でも多く存在している。

かつてはチャンパカンボジアラオスなどが緩やかな宗主権を主張していた。

しかし19世紀インドシナ半島を支配してきたフランス阮朝の宗主権を認める形式でベトナム(安南)に組み込んだ。また、第一次世界大戦後にはゴムコーヒーなどのプランテーションが拡大、設置された。

ベトナム戦争時、中部高原ではエデ族などがフルロFULRO, 被制圧民族闘争統一戦線)を結成し、南北ベトナム政府から独立を目指す活動を展開した。また、中部高原はホーチミン・ルートが通っていたため、ベトナム戦争の激戦地となった。

行政区分

中部高原は5省に区分される。

住民

民族

ジャライ族、エデ族(E De)などマレー・ポリネシア語派バナール族、セダン族(Xo Dang)、コホ族(Co Ho)など。

言語

モン・クメール語族に属する言語が話されている。

宗教

  1. ^ テイグエン地方の象文化” (日本語). ベトナムの声放送局 (2017年6月25日). 2022年12月30日閲覧。
  2. ^ ホーチミン主席、テイグエン地方の人々の心に永遠に残る” (日本語). ベトナムの声放送局 (2022年9月2日). 2022年12月30日閲覧。



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