タイガースマスク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 04:57 UTC 版)
2001年5月19日、なんばマザーホール大会の対スペル・デメキン戦でタイガースマスクとしてデビュー。ここから連敗を重ね、実に121連敗することになった。 2002年5月26日、タイガースマスク&高井憲吾組対ビリーケン・キッド&シュウ組戦でシュウから横入り式エビ固めでフォールを奪い初勝利を挙げる。 2003年、阪神の好調にともない、引きずられるようにタイガース自身も良いファイトを繰り返していく。阪神の特集番組等に関連して関西ローカルながらテレビやイベントに多々出演。12月にビリーケン・キッドとタッグを組み大阪タッグチャンピオンのベルトに挑戦して王者である獣神サンダー・ライガー&村浜武洋組をタイガーススープレックスで倒した。しばらく後についたタッグチーム名は「ザ☆虎ビリー」であった。 2004年5月に肋骨を骨折し欠場して6月には復帰するものの調子は上がらず不振が続いた。12月には5度目の防衛に失敗しタッグ王者から陥落して自身の不振を理由にタイガースが「ザ☆虎ビリー」の解散を申し出る。 2007年2月、大阪ハリケーンにてビリーケン・キッドを破り、大阪プロレス王座を獲得。 2007年9月、みちのくプロレスで開催された第4回「ふく面ワールドリーグ戦」に参戦。準決勝でタイガーマスクとの直接対決が実現して結果はタイガーマスクの勝利。 2007年12月、天王山2007で優勝と同時に大阪プロレス王座を防衛。 2008年10月、コスチュームを黒を基調としたものに一新してヒールへと転向。 2009年3月、サソリを下して第6代IMGP世界ヘビー級王者に輝く。12月、新日本プロレス主催の第5回「スーパーJカップ」に出場して2回戦で丸藤正道(プロレスリング・ノア所属)に敗北(なお、丸藤は本大会で優勝)。 2010年1月17日、DRAGON GATE大阪府立大会へブラックバファローと共に乱入。4月18日、スペル・シーサーを破り、オープン・ザ・ブレイブゲート王座を奪取。 2014年、大阪プロレスを退団して東京で活動することを発表して退団後の初試合にて自らの手でマスクを脱ぎ捨て素顔に戻った。
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