ソフト・パワーの源泉~文化・政治的価値観・政策の魅力~
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 02:35 UTC 版)
「ソフト・パワー」の記事における「ソフト・パワーの源泉~文化・政治的価値観・政策の魅力~」の解説
ジョセフ・ナイはソフト・パワーを提唱し、ソフト・パワーを構成するものとして三つの要素を掲げている。ひとつは、その国の有する文化である。その具体的な例として文学や美術、高等教育などのエリートを対象とする高級文化や大衆の娯楽などの大衆文化が挙げられる。ナイはその国が有する文化の価値観に世界共通の普遍性があり、その国が他国と共通する利益や価値を追求する政策をとれば、自国が望む結果を獲得することが容易となるとし、一方で偏狭な価値観に基づく文化では、ソフト・パワーが生まれにくいとしている。 また、ジョセフ・ナイは国家の国内外における政策も、ソフト・パワーの源泉足り得るとしている。その例としてアメリカ国内の黒人などへの人種差別によりアメリカのアフリカ諸国に対するソフト・パワーが損なわれ、銃の野放しや死刑制度により、ヨーロッパにおけるアメリカのソフト・パワーが損なわれたことを指摘している。一方で、アメリカの人権政策は、かつて軍事政権を敷き人権抑圧を行っていたアルゼンチンからは反発されたが、その後、投獄されたペロン派が政権を握ったことで、アルゼンチン国内におけるアメリカのソフト・パワーが高まったとしている。 さらにジョセフ・ナイは同じソフト・パワーであっても、文化によるソフト・パワーと政府の政策によるソフト・パワーは必ずしも一致しないことも指摘している。2003年に世界各国の世論調査において、アメリカのイラク政策への失望から、アメリカを魅力的であるという回答が低下したが、これはあくまでブッシュ政権に対する失望であり、アメリカの技術力、音楽、映画、テレビ番組については依然とアメリカを魅力的であるという意見が強いというのがその例である。 こうしたソフト・パワーの作用として、ジョセフ・ナイが指摘するのは、ソフト・パワーは国家により管理できないという点である。軍事力や経済力などのハード・パワーと異なり、ソフト・パワーは部分的に政府の目標に影響しているに過ぎないし、そもそも自由な社会において国家がソフト・パワーを管理することがあってはならないとも述べている。
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