ソフトボールへの道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 13:53 UTC 版)
ソフトボール部の顧問であった兄の担任から、「『(背丈が)でっかいけど、(ソフトボール)やってみないか?』と誘われた」 のを契機に、金沢市の長田中学校で通常の部活動としてソフトボールを始める。不器用でどちらかと言えばスポーツが苦手だったが、長身とリーチを生かした投げ込みに熱心に取り組み、たちまち頭角をあらわす。 1997年に金沢高等学校卒業。「高校を卒業したら、お菓子屋さんになりたかった」 が、埼玉県戸田市の戸田中央総合病院がたまたま投手を必要としていることを知らされ、同病院ソフトボールチームに入部。エースとして活躍し、1部リーグの決勝トーナメントでも闘えるチームへと押し上げる。 2001年に星野昭・日本ソフトボール協会女子強化委員長(現・川越東高等学校校長)よりシュートを伝授され、以後決め球となり、翌2002年には最多勝投手に輝く。収得しようとした理由を本人が語るには、上野由岐子も速球派の投手で、速球派は二人もいらないという風に思ったそうで、2000年シドニー五輪からの投球距離の延長もあったそうだ。
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