スーパープロレスリング連盟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/17 05:59 UTC 版)
「SPWF」の記事における「スーパープロレスリング連盟」の解説
谷津は事務所を東京都に移し、同時に第2部と第3部を廃止して、団体名も「社会人(Social)のS」から「スーパー(Super)のS」に名称を変更して純粋にプロレスラーのみの試合となる。 前述の離脱した高田を中心としたグループが夢ファクを旗揚げした日を境にSPWFに矢口壹琅が加わりユニット「神格闘十字軍」を結成して谷津との抗争が始まり、さらに後には矢口と結託し参戦したターザン後藤らとの抗争にも発展し、SPWFで有刺鉄線デスマッチや電流爆破デスマッチが行われたこともあった。 谷津は新日本からフェードアウトしたため主に関東地方で興行を続けた。後にアメリカ南部のテリトリーより独自のルートで外国人選手を多数呼んで日本を巡業するスタイルとなる。 1997年7月、SPWF女子部を設立し、初の現役女子高校生レスラーとなる千春をデビューさせてプロレス界のみならず一般マスコミでも話題になった。 1998年7月、千葉県長生郡一宮町に道場を設立。後に阿部拓巳(現:超人勇者Gヴァリオン)、猪熊裕介、増田圭祐がデビュー。またI.W.A.JAPANの宇和野貴史、西山秀紘、岸勝也が所属のまま道場に入門。11月、千春がSPWFに参戦していた野沢一茂(現:NOSAWA論外)と結婚して妊娠6ヶ月であることを発表。千春はSPWFを引退。 1999年6月、所属女子選手全員が退団。 2001年、最後の女子練習生が退団したためSPWF女子部は消滅。 2002年11月、谷津が高智政光と宇和野貴史を連れてWJプロレスに移籍。残された所属選手は月1回の道場マッチを中心として活動を続けることになる。この頃、谷津体制のSPWFオフィシャルページと残された所属選手のSPWFオフィシャルページの両方に併存しており裏では相当の内紛が有ったのではないかと思われる。 2006年4月22日、西調布格闘技アリーナ大会をもって、活動を続けていたGヴァリオンらほとんどの所属選手とスタッフが退団して事実上の活動停止。8月、最後の所属選手であった増田によって最後の道場マッチを開催。 2010年11月30日、谷津の引退により、その引退興行をSPWF解散式も兼ねて新宿FACEで開催してSPWFは完全に消滅。 2011年2月9日、道場が解体された。 2017年7月15日、BRAVES高島平区民館ホール大会「NEW GENERATION SPWF FINAL」のメインイベントで、現役復帰した谷津とGヴァリオンのシングルマッチが行われてGヴァリオンが勝利。
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