スペインでの活動と引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/27 02:51 UTC 版)
「ノーマン・アーマー」の記事における「スペインでの活動と引退」の解説
1944年12月15日、アーマーは駐スペイン大使として任命を受けた。アーマーは1945年3月24日に信任状を奉呈して着任した。アーマーは第二次世界大戦終戦まで、枢軸国の一部に支援の姿勢を見せるスペイン大統領フランシスコ・フランコによる政府に圧力をかけ続けた。アーマーは1945年12月1日に駐スペイン大使を退任した。アメリカはその後、後任大使の派遣を1951年まで拒否し続け、スペインの孤立化を図った。アーマーは駐スペイン大使退任後、国務省を辞して現役から引退した。 1947年6月10日、アーマーはハリー・トルーマン政権で政治担当国務次官補に指名された。アーマーは現役復帰を決め、1947年7月1日に着任した。アーマーはジョージ・C・マーシャル国務長官の下で1948年7月15日まで政治担当国務次官補を務め、2度目の引退をした。 1950年9月20日、アーマーはハリー・トルーマン政権で駐ベネズエラ大使に指名された、アーマーは2度目の現役復帰を決め、1950年12月7日に着任した。アーマーは1951年10月2日に駐ベネズエラ大使を退任し、3度目の引退をした。 1954年9月15日、アーマーはドワイト・アイゼンハワー政権で駐グアテマラ大使に指名された。アーマーは3度目の現役復帰を決め、1954年10月18日に着任した。アーマーは1955年5月9日に駐グアテマラ大使を退任し、4度目の引退をした。アーマーはジョセフ・マッカーシーによる国務省への攻撃的非難マッカーシズムに際し、1954年1月に外交官仲間と共同で抗議声明を行った。アーマーらは抗議声明において、「国務省外交部は、我々の忠誠心や道徳規範を疑問視する外的要因による攻撃に晒され続けてきた」と述べた。この抗議声明に署名したのはアーマーおよび、元駐日アメリカ合衆国大使ジョセフ・グルー、元駐イタリア大使ウィリアム・フィリップス、元駐アルゼンチン大使ロバート・ウッズ・ブリス、元国務次官補ガーディナー・ハウランド・ショウの計5人であった。 1976年、アーマーは雑誌のインタビューにおいて、自身の仕事の中で最も誇りに思える仕事は、マッカーシズムに対する1954年の抗議声明であったと述べた。 1982年9月27日、アーマーはニューヨーク州マンハッタンにおいて死去した。アーマーの遺体はニュージャージー州のプリンストン墓地に埋葬された。
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