スクールカーストを題材とした創作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 09:26 UTC 版)
「スクールカースト」の記事における「スクールカーストを題材とした創作」の解説
教室内での人間関係をめぐる駆け引きを描いた物語(小説)は、スクールカーストもの(スクールカースト小説)と呼称され、2000年代半ば頃から日本では若手作家による純文学やライトノベルの分野で存在感を保っている。中には著者自身が実際に学校空間で体験したことが反映されていると考えられるものもあり、ドキュメンタリー的な面もある。 宇野常寛は、21世紀に入った頃からアメリカ同時多発テロ事件や小泉内閣主導の新自由主義路線(聖域なき構造改革)といった社会状況の影響により、それまで(1990年代後半頃)の日本のポップカルチャーで優勢だった引きこもりがちな自意識の葛藤を描く作風(いわゆるセカイ系)から「価値相対的な過酷な状況を自分の力で生き延びる」という「サヴァイヴ系/バトルロワイヤル系」の作風に物語のパラダイムシフトが起こっていると論じており、一連のスクールカースト小説も後者の想像力のひとつに位置づけている。宇野の議論によれば、大きな物語(社会全体に共有されるような特権的な価値観)が失墜しポストモダン化の進行した現代社会では個人が自力で拠り所とする小さな物語を決断的に選び取らなければならない状況に陥っており、無数に散在する小さな物語(島宇宙)の内部において、自分がその共同体に帰属していることを確認するための自己目的化したコミュニケーション(社会学者の北田暁大がいうつながりの社会性)が繰り返されているという。そして、それを現実認知として描けばスクールカーストものも属するバトルロワイヤル系の想像力となり、逆に消費者の欲望に合わせて理想化させて描けば(スクールカーストものと同様にしばしば教室空間を舞台としてつながりの社会性が顕在化したコミュニケーションの連鎖が描かれる)空気系の想像力になると考えられる。 社会学者の中西新太郎は、主に小説(ライトノベル)などを参照した上で日常圏に侵食する社会圏の困難を描く想像力を「シャカイ系」と呼んでいるが、若者にとって日常の大半の時間をすごすことになる学校空間も、人間関係からの隔離という危険と隣り合わせの「社会」に変貌しつつあるとしている。
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